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私の町も中標津さんと意外に似ていまして、複合的な施設になっております。漫画美術館が中にあり、図書館があったり、ホールはもちろんですが、視聴覚施設等、あとは役場の中湧別地区の出張所、それから商工会が入っています。TOMの職員は中湧別出張所の職員と兼ねています。

実は、私は平成5年に1年間だけTOMに実際に常駐をして仕事をやったわけですが、そのときは町長部局で商工会との密接な関係が必要であるし、こういうホールが町をつくっていくという部分で、商工会と地域が活性化しようという重要な部屋が中間にありました。それとバスターミナル、バス会社が四つ入ってきます。

国鉄が廃止された部分で市街地に14ヘクタールの穴があいて、そこにTOMというものができました。

こういった複合施設でありますから、施設の特色という部分で、そういうものと有機的に結びつけることと、ホールは可動席になっております。

可動席というのは、キャパから言うと752席ですが、そのほか可動席の上に40ぐらい椅子が乗りますし、全体的に800は可能で、そんな感覚でやっていますが、その椅子が可動式なものですから、ステージから一番離しますと800、中間まで持ってきますと600、一番ステージに近づけると400と。中身によってキャパを変えていけるという特典がある部分と、それが、例えばテレビカメラが入ったときに微妙に動くだとか、いろいろ問題がありますが、そういったメリットやデメリットのある可動席で、これを壁に押し込みますとワンフロアーになりますから、展示会や物品販売、あるいは結婚祝賀会、こんなことがたくさんできるようになっています。小さな町ですから、多分、当時いろいろなものに使えるという形にしたのだと思います。TOMの概要はそんなところです。

私の町は、4年に一回のオリンピックに勝たなければならない町長がトップにおりまして、そういった感覚で、箱物行政というのが今騒がれていますけれども、箱が先に完成したという部分は否めません。その後に、いろいろな中で使っていく部分の魂づくりが、意外と箱をつくった後になったのかなと思います。

ですから、町の人たちがつくったり、我々が管理運営をしていますけれども、非常に使いづらい部分があります。魂をつくる前に箱が優先してしまったのかなと思います。これは建設課の人間ともいろいろ議論があったのですけれども、そういったことが先行したようです。

当時の町長は、館長を部長クラスにして、そういう話を議会にしながら、25億3,000万もかかっていますから、文化の発信基地としてというふうな旗印を上げながらやってきましたけれども、私もそのとき総務課におりまして、条例・規則をつくる部分で、こういうものは本気になって、ほかの町に負けないように、いろいろ問題があるように行政の間違いだらけの部分があるように、条例・規則がしっかりしなければだめだなと。こんなことで、例えば、館長の認める限りだとか町の人たちの側で条例・規則のたたき台をつくってみました。

けれども、上の方に行くとどんどんどんどん赤字で真っ赤に直されて、結局、いろいろな施設がたくさんありますけれども、普通の設置条例化となってしまい、我々の考えたような感覚が入っていない。ですから、うちの条例を見てみたらわかりますけれども、10時で帰ってくださいというような形になっています。

ただ、その部分の話が行ったり来たりしまして、大きな問題として、平成5年度の予算として、スタッフ関係や専門技術者の関係が未決になっておりました。そんな話をどんどんしていくうちに、平成5年4月にオープンしたのですが、その前の平成4年12月10日付で人事異動がありまして、ソフトの部分を考えていた私にそこに行けという話になってしまいまして、とんでもない話だなと思いながら、我々は辞令をもらったら仕方がないということで、1年常駐することになったのですが、これから本題に入りますけれども、予算の関係、あるいは一般備品がまだ全然入っていないということがありまして、ですから、さっき言ったように魂づくりがされていなかった。

問題は、私も高校生のときから音楽を20年近くやっていまして、多分、役場の中にそういうことをやった人が余りいなかったので、行けということになったのか、4カ月ぐらい後にオープンということで、すごく焦ったのですが、そのときに理事者といろいろ話をして、中標津さんもいろいろ

 

 

 

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