ません。」そりゃあ、文化庁庁官は大臣でもないんですよ。そんなところへいきなり出したって出る筈はないじゃないですか。
丁度海部さんが総理大臣のときでしたが、大蔵省もはいりなさい。文部省にも入ってもらいなさい。それからどんな地方の会館にも外国から来て音楽家が演奏してるんだから、外務省も入ってほしい。それから、これからですね、長い審議を経て文化会館てものを維持していかなきゃならない。建てる時には国はお金を出す。だけど人の出入りが多いから直ぐにメンテナンスに入んなきゃいけない。メンテナンスになると全然お金が出ない。こういうことでは、文化は発展しないんだ。
私は熊本行ってすぐ、文化の予算が他の事業の予算と同じように単年度割りになっているのにびっくりしました。これでは文化は興らないんです。文化というのは私がやってるんだって短いものが1年半です。長いもので5年もかかるんです。こんなのを単年度予算でやってたらできっこないんです。幸い私のところは、文化振興基金という制度をつくったから、年度を越えて私の裁量でいくらでもプランをたてられるんです。しかし、単年度予算では出来ないんです。
当時の知事の細川さんと「これはだめだ、文化予算は年度を越えて使うように、地方の、様々な法律の条件があるんだろうけども、これを変えてくれないか。」と2人で随分やりました。膝付き合わせて。どうしたら年度を越えて予算が使えるかってことを。しかし、結局彼はやらないで出ていってしまいました。
ところが、それが今は出来ているんです。というのは、私どもの事業の中でいちばん大きいのが「こころコンサート」というコンサートです。正直に言って8千万円近いお金がかかります。何故これをやるかというと、日本では、健常者と障害者が日常生活の中で触れ合う機会がほとんどないんですね。私は先程申しましたように、18才の時に1人の知的ハンデを背負った女の子と触れ合ってから、折にふれてハンデをもつ人と接して参りました。かなりの重度の方でも音楽が鳴ると身体のどこかを動かす意思があるんだということを知りました。健常者と障害者をつなぐのは音楽かなと思っておりました。そして熊本で村おこし、町おこしをやっておりますと、最初はいろいろ問題がありますが。だけど人間はやるとなったら最後までやるんだってことも知りました。
私の長い間の念願は、私と別れてから1週間後に自動車事故で亡くなったあの子のために、鎮魂歌を奏でてやりたいということです。そして同時に、健常者はもっと、障害者は一生懸命生きている人なんだということを知って欲しい。私にそのことを教えてくれたのは、精薄児の