抱き合って泣いたっていう経験はただの1度もありませんでした。終わったら、ハイ次、でございました。
私はその光景を見て、こういう感動を形にするのが文化なんだ。そしてその感動を生むのが文化会館の仕事なんだ。しかもそれを感動のまま終わらせてはいけないんだ。それを何らかの形にしないといけない。文化は、あるいは心というものは形にしないとわかりませんから、それを形にしなければならないんだと思いました。
国や県が働いてくれまして、この村にやがてのことに1万坪の神楽苑という公園ができ上がりました。その設計にも携わらしてもらいました。そして、資料館をつくりまして、いま私は日本中のお神楽の資料を入れております。ここに舞台を作りました。この舞台で神楽のフェスティバルをやります。そうすると山また山の村です。ここに1日3万人のお客さんが来るようになりました。舞台を作りまして、前の広場でみるわけですが、ここには村有林から木を切ってまいりまして、角材の床にしました。大体ここで700人くらい見られるんですが、今年はここだけで入りきれないので、うしろが丘になってるんですが、このうしろの丘を階段状に崩しまして、今年から舞台を引っ繰り返しまして、裏側で約2,500人が見られるように発展して参りました。
最初これを作った時に3,000万円の赤字を出しました。申し訳ないと思いました。わずか1,600人しかいない村です。そこに3,000万円の赤字を出すような施設を私一緒になって作ってしまったわけです。申し訳ないと思いましたが、今、1億2千万円の黒字なんです。山の上の神社の横に1,000人がご覧になれる神楽殿を作りました。
これが後にオウムが入ってまいりました波野村です。しかし波野の人たちは、ほんとに彼らを切り殺してまで村を守るといって、刀をさして、彼らと直接ぶつかりました。山梨県の上九一色は開拓村でそういう団結はありませんでしたから簡単にオウムに占領されてしまったんです。しかし波野は9億円のお金を払いました。しかし、みんなで団結してとうとうオウムを追い払いました。後でサティアンに入っておりましたら、あの毒ガスを作っておりました。波野が、村民が一体となってオウムと戦わなかったらこの波野村が上九一色になっていたでしょう。
そして波野村の人たちは今でも言うんです。
「あのオウムが入る半年前に、村が心を一つにしておいたから、オウムを撃退できたんだ」と。
今でもそういうんです。心を一つにするということがどんなに素晴らしいかということです。