ないでしょうか。
ですから、そうやって調べてみますと、ちゃんとあるべきところにはあるし、それを上演すれば、外国の若い音楽家達が涙を浮かべて感動するという場面もあるんです。文化会館が本質的に必要なのは何でしょうか。それは感動です。感動を除いたら文化会館は成り立たないんです。毎日毎日、何らかの感動があるから文化会館は成り立っていくんです。その感動を会館の職員は演出していかなければならない。その感動の方法は、様々あるわけです。
素晴らしい演劇、バレエなど、中央でやってるものを呼んでくるというのもそこに1つの感動があるでしょう。しかし、私が次にやりました三十三座のお神楽も1年半かかりました。私もしょっちゅう山の中に通いました。そして、兼業農家が多いもんですから練習は、夜8時からです。もう2時間もやるとくたくたなんです。明日の仕事がありますから2時間くらいしか出来ません。公民館でやりましたが、舞う人は中なんですが笛や太鼓は狭いから外なんです。阿蘇の高いところにありました。もう10月の初めびゅんびゅん寒い風が吹くんです。その寒い風の中で大鼓を鳴らし、そして笛を吹いて三十三座を元のように変えました。
そういうところに問題があるんです。というのは、伝承芸能ってのは口伝が多いもんですから記録がほとんどありません。この記録を集めるのに私は大変苦労しました。本屋に、2時間も3時間もいなければならないんです。そしてたった1行に出会うためにあらゆる本を引っ張ってこなければならないんです。
少し後の話になるんですが、棒をもって踊る棒踊りが九州全体に盛んなんです。鹿児島が一番盛んなんですが、九州全体にあります。そして熊本県の球磨郡球磨村に大瀬という集落がありまして、一巻のぼろぼろになった巻物を持ってらっしゃる方がいました。そこに江戸時代の棒踊りの人物画が書いてありました。その絵が今、九州で行われている棒踊りと全く違うんです。今の棒踊りは、剣道の稽古着を着て、袴をはいて、草鞋をはいて、鉢巻きをして、鉢巻きの先が踵まである。そしてたすきをかけてやるんです。ところが、この絵巻物は本当の農民が裾をはしょって裸足でやってるんです。全然違う。だからこれをこの江戸時代のままに復元しようと思いました。
しかも文政3年、1820年です。巻物にちゃんとサインがはいっている。そしてその絵巻物を
伝えてきた人の名前も入っている。だけども文政3年というのは、社会的にどん底に落ちてる時代です。こういうお祭りを村が開くだけの能力があったかどうかってことは非常に問題でございました。そして私は文政3年にこの村でこのお祭りが出来たかどうかということを証明するために1年半かかりました。どこにもその資料はありませんでした。もしかしたらその巻物