でどういうふうに処理するかってのが分かりました。
例えばパンをします。パンをすると日本の人のパンというのは丁度漢字の一を書くようにトンと止めてず一ってパンして、またトンと止めるんです。ところが向こうの人たちはいきなりパンするんです。カメラが止まらないんです。日本人はどうしても静的、静かですから、パンと止めてず一っと動いて止めるんです。これが日本人の共通したカメラのパンの仕方なんです。ところが向こうの人は違うんです。
それを知ったのは、ポンペイというところがあります。あそこの番組を私1時間でつくりました。ところが、丁度同じ頃、アメリカのある会社がロケをしてたんです。それをでき上がりをみました。私は1時間でつくりました。ところが彼らの番組は僅か9分なんです。ポンペイの崩れたところに奴隷の彫刻が落ちているんです。一人称の語りで、とにかく全部パンなんです。そして僅か9分間で、ポンペイを余すところなく説明しているわけです。
こうした文化の先進国と私たちの違い、技術的な違い、私たちが持っている本質的な日本人的なものと西洋の人の持ってるものはこれほどまでに違うのかということをつくづくと悟りました。
さらに向こうの放送局で一緒になって仕事をいたしますと、我々の感覚とまるで違うんです。例えば今晩ニュース何をやろうかっていう、そういう討論の時には男性が一杯いるんです。しかし、実際スタジオにはいってみますと、副調整室にいる人もカメラマンも全部女性なんです。1度何かを決めて、ここんところで写真を出そう、ビデオを出そう、ここは何だっていう順序を決めたらそれをきちんと出す才能ってのは女性がはるかに優れているんです。
ですから、そこへ来ると全面的に女性に任せるわけです。アメリカ、ヨーロッパの放送局のスタジオに入りますと男性は責任者が僅か1人しかいないんです。日本はそうじゃないんです。もう金魚鉢の中で男の人が溢れんばかりにいるんです(笑)。それでガンガン、ガンガンやるわけなんです。ところが向こうのスタジオに入りますと、非常に和やかなんです。そして事がスムーズに運んでいくんです。そこのところに私は文化の担い手というものをそれぞれの個性を生かした文化の担い手、或いは担う方法があるんだということも、また外国の様々な放送局で仕事をして参りまして、分かりました。
私は今申しましたように何の関心もなく放送局に入りまして、放送についての才能は全くありません。にもかかわらず、時代の流れでございまして、ラジオから大きくテレビに変身してまいりました。そして私の先輩達がラジオからテレビへ切り換えることが出来なかったんです。音声だけで訓練されて参りましたから、テレビのような全身表現になりますと、先輩達が非常