しやってるってお知らせなんですが。それやれって言われてやりました。
終わったから、「NHK、JOAK」?て言ったら、熊本の局中の人が椅子から転げ落ちまして(笑)、偉い人が飛んできて、「ここはGKっていうんだ。」って(笑)、言うんです。「いゃ、私はAKって教わってきた。」ってそれほど私は知らなかった。
ですから私は逆に、今度は宿直勤務を買って出ました。週1回は必ずあるんですが、それを週2回。先輩のを「私が代わります。」と言って、とにかく放送が分かりませんでしたから、放送を覚えることで一生懸命でした。そしてその中で、いろんなことをやって参りましたが、それが当時の放送局の基準にはかなり合わなかった面があるんです(笑)。
例えば、東雲のストライキってのがございます。日本で最初のストライキです。熊本の駅の前に二本木っていう繁華街、昔の花柳界がございまして、そして、女の人達が働いていた大きな家がずっとございます。その中で一番大きいのが、二本木の東雲楼という大きなすごいコの字型になりました家でございまして、コの字の一方側にお客さんが上がるんです。反対側に女の人がいて、こっちからこう見て、「あの人がいい。」なんて言うんです。
ところがそれが大変な廃墟になってしまいまして、私はその東雲のストライキを取材しようと思って、行ったんでございます。そうしたら、屋根にペンペン草で、大家高楼が傾いてるわけです。私はその中に入りまして、奥まで入って行きました。もう何十年間って人が来てないんです。入って行きましたら、物置小屋がありました。かつては病気になった女の人達をそん中に放り込んでいたところなんでしょう。そこへ行ったら灯がついている。
この東雲楼をつくりました人は中島茂七さんって人なんです。この人は米の相場師です。というのは、江戸時代、熊本に菊池川っていう川が流れておりますが、ここから菊池米ってのを積み出します。今でもその跡が残ってるんです。土手の上に米俵を持って参りましてここに船をつけるんです。そしてここから俵をガラガラッて転がしてトーンって船の中に入れる。これを「俵転がし」っていうんです。この跡が今でもこの川原に行くと残っているんです。そして、ここから積み出すと大阪の堂島へ行って、これが江戸時代の米の相場を決めておりました。肥後米といって売り出されておりました。この肥後米が江戸時代の米の値段を決定していたんです。そのぐらいのいい米だった。それが明治のはじめまで続いておりました。
相場師の願いというのは、一生に1回自分のお金でもって、相場を番狂わせする、いわゆる相場を狂わせることを1回はやりたいってのが相場師の願いなんです。これをたった1人2度やった人なんです。しかし、自分の名前さえ書けない人なんです。この茂七の七の字しか書けないで、しかも下を左へ曲げた人なんです。ただし、2度相場を狂わせた。この人が東雲楼を建