なくなったりいたしましたので、大きなイベント等が組めないので地域をステージにということで、市内といろいろな施設を使っての音楽イベントを展開しています。歌劇のバウホールそして大劇場。それから市民ホールでもコンサートをやっておりますし、街角コンサートも又熱帯植物園のレストランがあるんです。幸い150人程入るレストランもあり、ヤシの実だとかがあって寒い冬でもハワイアンの曲をいかがですか、というように。
又、ホテルの大宴会場でコンサートを開いたりディナー付きのコンサートをやるとか、あらゆる施設を使ってのコンサートを展開しております。地域をステージにと行っているわけでございます。
つぎに市民活動の連携ですが、吹奏楽団だとか合唱連盟だとかいろいろな方々に連携を取ることによって一つのイベントが膨らんでいったりしているわけです。
例えば、市民バレエというのをやっているわけです。幸い地域の特色といいますか、歌劇がある為か大変沢山のバレー教室があります。歌劇団のOGの方も教室を開いてらっしゃいます。生演奏で踊れるということは大変彼女達にとっては魅力な様でございます。市の交響楽団の演奏で市民の方々にバレエをやろうということでオーディションをしますと、大変沢山の方にオーディションを受けに来ていただいて、市民の手で作る市民バレエというようなものを連携して今作っていっています。
震災にあってということでお話をさせて頂きます。3年前1月17日でした。その時には、全国の方々からそして各ホールの方々から、私共にお見舞い激励をいただきまして本当に力強く思ったしだいでございます。改めてお礼を申し上げます。
私の家は幸いにも大きな被害はなかったのですが、これは大変だなと思ってまずベガホール、市民会館に飛んで行こうと思って車で出ますと、150メートルも行った所にお寺がバッシャリと倒れていて、その中には後でわかったんですが、生き埋めになっておられたそうで、そこを通り、斜めになっているビルやガス管や水道管が破裂している所を通ってベガホールについたとたんに、ホールのロビーはいっぱいの避難者でした。ホールは真っ暗でしたからおそるおそる電池を持って中に入って行ったら、パイプオルガンが倒れていてもう悲惨な状況でした。
また、市民会館も避難の方が大変沢山いらっしゃった。ホールの入口が崩れている、客席はボーンと落ち込んでいる、いうような状態でした。道路に塞がって家が倒れている、若い女の方がこの中にお父さんがという声を聞いても、すみませんと言って。私一人ではどうにもできませんから。今でも「私のお父さんが。」と言ったあの姿がまだ残っています。
その年は文化振興財団が発足して市政40周年ということではなばなしく打ち上げていまし