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ベガホールが出来てから、市内に合唱団が増えてまいりました。公民館等の合唱グループや学校が増えて来たことでPTAのママさんコーラスも増えてきことも一つの起爆剤になって、合唱団だけではなく宝梅中学校という吹奏楽全国大会連続5年金賞とつた学校もありまして、中学・高等学校を卒業した人達が社会人になってもグループ化して市吹奏楽団を作って、又、吹奏楽団だけでなく、ベガホールを練習会場として交響楽団を作っていった、こういうようにして一つのホールがいろいろな広がりをつくりました。

また、町も変わってきてました。たまたまホールを清荒神というお参りで有名な駅前に作ったわけですが、その参道の入口になっている駅前には、今までは仏さんの花、神様の花をというようなものだった花屋さんが、このホールが出来たため、ステージや贈物の花束に、そしてお菓子屋さんが洋菓子屋さんに変わっていって、町が変わっていくというような状況が出てきたということになろうかと思います。

さて、前置きはそれぐらいにしまして、ホールの管理運営ですが、私ご紹介にもありました様に社会教育課長をしておりました。当時は、社会教育課は、教員委員会事務局での社会教育も文化あり文化財はあり、婦人教育はあり、それから幼児教育はありというように大変幅広いセクションでした。その為に毎日、毎土曜、日曜は当然のことながら残業は23時24時というのは常でした。これでは十分な社会教育行政が出来ないため、部内で検討を致しまして、係長をそれぞれ検討委員という形で、今の体制をどうあるべきかというようなことで検討した結果、文化は文化。そして生涯学習は生涯学習と。婦人・文化というように分けていこうじゃないかということになりました。それぞれに分けた結果、私が今度逆にベガホールの館長になり、音楽文化の担当になったわけです。

それから1年、行政の文化化ということで、教育委員会だけではなく市全体が文化行政に取り組む必要があるということから、教育委員会から文化関係は市長部局に移しまして、市長部局の市長直轄で文化行政を進めるというような体制になってきて、市長部局の中でのベガホールという一つの位置づけになってきました。

そして、だんだんと文化のセクションが広がって、色々な催事が増えてきて、文化を役所でやるのは限界があり民間的な発想で進めていく方が好ましいということから、文化振興財団が作られるようになってまいりました。

そして、宝塚市もそのようにしようということだったのですが、事情でなかなか出来なかったのです。ちょうど市制40周年という記念に文化財団の立ち上げを行い、市民会館、ベガホール、ソレオホールという文化施設の統括をすることになり、その後それを管理受託する財団の

 

 

 

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