半は学校の建設費というような時代が続きました。50年代に入り少し鈍化しましたが、社会教育施設は20万になった都市に、恥ずかしいことに公民館が1館しかありませんでした。
社会教育を充実していこうということから、2館目の公民館と図書館の複合施設を建てて行く計画が持ち上がり、公民館に大きなホールを作る話になってきたんですが、同じホールを作るならばいいホールを作ろうじゃないかという市長の発案もあり、文化行政の目玉として、音楽ホールを作ろうと建設に向かったわけです。幸い市の幹部に理解があったことなどもあり力を入れたというのが、このベガホール建設の経緯です。
昭和55年にプロセニアムがない、そして緞帳がない音楽専用ホールを作りました。これは全国でも地方都市として一番に出来たと思われます。どちらかと言えば、皆さん方バッハホールの方が先に名前が売れましたね。田舎の田んぼの中に出来たバッハホールということですが、実はバッハホールは10月、それより先の8月に宝塚のベガホールが出来ています。一番の草分けはベガホールです。残響2秒というようなことが出始めたのも、このベガホールの残響をいろいろ研究をした成果の一つの現れではなかったかという気が致します。開館いたしますと、キャパシィティ400弱のホールですが利用者が多く、2年目から90%台の利用が続いております。多い時には96%台が続きました。予想していたよりも多くの利用者があったことはキャパシィティ400が良かったか、地の利がよかったのか又大阪周辺にそういう残響のいいホールがなかったことが上げられます。当時は、年中無休で年末年始だけの休館ということで、始めておりましたが、週休2日制やメンテナンスの問題が発生し、週1回の休館日を導入してきたということになっております。このホールが出来てからどんどん変わりましたね。ベガホールという名前もそうですが、当初は何とか会館、市民会館、文化会館というようなはしりが、たまたまカタカナの名前を作った先人でもなかったかと思います。ベガと言いますのは、北極星に琴座というのがあります。楽器の琴。琴座の中で良く光っている一等星の星がベガということで、音楽の向上に向かって行こうということからベガという名前を付けたわけです。それにならって次はバッハホール。それから次にカザルスホールだとか、又ここにいらっしゃるベルカントホールだとか、いろいろな方の名前がホール名になって来た。さて、次はどんなんに変わるんでしよう。私共の市民会館は、震災でつぶれてしまって、今年度に解体いたしまして、今ゼロになってしまったんですが、又新しいホールを建てなければならない。音楽ホールとしては一番バッターですが、多目的ホールと言いますか大きなホールではラストバッターになるんじゃないかと言われておりますけれども。一番とラストバッターをつとめるためには、名前も変えなければならないし大変だなというところです。