関西では、近鉄が「近鉄劇場」これは大きい方と小さい方があります。それからダイエーは、神戸に「オリエンタル劇場」をつくります。こういった劇場が出来てきますと、今度はその中身がですね、やはり今までの活動してきた各新劇でありますとか、商業演劇でありますとか、そういったところの人たちだけではなく、この小劇場演劇で人気になった人たちがどんどんそこへ進出していくようになります。
これは劇場ができたからそうなったのか、或いはその逆か、鶏、卵どっちが先かでわからないですけれども、こういった動きがこのやはり80年代にとても顕著です。
この中で私は一つエピソードとして面白いと思っていることがあります。前もどこかで話したことがあるので、あれなんですけど、先程出ました蜷川幸雄さんがですね、74年に東宝の制作で「ロミオとジュリエット」を市川染五郎さん、今は松本幸四郎さんですが、主演でやったんです。この時いわゆる商業劇場で初演出ということになりました時に、今まで映画館の終わった後でやったり、一緒にやってきた人たちが大反発をしまして、中身は非常に大胆でよかったんですけれども、商業主義に身を売るのかというふうなことで、そういう人たちからは随分と非難を浴びました。ところが、今度80年代になりまして「夢の遊眠社」の野田秀樹さんが日生劇場でやはりシェイクスピアの「十二夜」を初めて演出しました。この時は話題にはなりましたけど、そんな商業演劇とか資本主義に身を売ったとかそういう話は一切出ませんでした。
それで80年代のもう一つの特徴、これはミュージカルなんですね。このミュージカル自体は先程の山下さんのお話もありましたけど、初めていわゆる翻訳もの、向こうのものですが、上演されたのは、1963年で「マイ・フェア・レディ」なんです。その後、いろんな作品はやってたんですが、なかなか動員数が増えず、といいますのは、内容が「マイ・フェア・レディ」の場合はとってもわかりやすいってこと、物語性が強いということ、いい音楽であったということでヒットしたのですが、それらがうまくかみ合ったミュージカルじゃないものが沢山紹介されちゃったもので、お客さんが集まらずに入りが悪いということで、お荷物扱いされていた時期が長かったんです。宝塚にしましても、劇団四季にしましても、随分むこうの作品を上演するんですけども、なかなかヒットというところまでいかなかったんですが、80年代になって劇団四季が「キャッツ」をやります。これは仮設の劇場でやったわけですが、一年のロングラン、正真正銘ヒットしまして、この辺りから定着してきたんではないか。これも80年代の特徴です。
時間があっという間に経っておりますので、急ぎ現代になりますが、ここにボーダレスあるいはプロデュースの時代というふうに書きましたが、最近では先程申し上げた小劇場演劇だと