す。
それまでは制作東宝株式会社とか、制作コマスタジアムとか、制作宝塚歌劇団とか、今でも続いてますけども、いわゆる下に衣のついた「製作」という表記があって、個人の名前はあまり大きくなかったわけです。いつの間にか東宝などでも制作誰々というのがプログラム、あるいはポスターやちらしに刷り込まれるようになりましたけども、全ての責任の所在は東宝株式会社が制作著作権、あるいは上演権を持っておるということでございます。
吉田さんという人は、一例を挙げるならば、三島由紀夫さんの『黒蜥蜴』という、今でも美輪明宏さんという方がど派手にやっているのがありますので、ご覧になった方もいらっしゃると思います。当時、新派の看板女優でありました水谷八重子さんを呼んできて『黒蜥蜴』の主役をさせ、文学座のトップだった芥川比呂志さんに明智小五郎、映画界から田宮二郎と大空真弓さんを呼んできて初舞台を踏ますという、当時ごちゃまぜのキャストだみたいなことを言った演劇評論家がいますけれども、一つの会社の専属俳優たちだけじゃなくて、枠を越えた自在なキャステイングをやり初めたケースでしたね。映画では五社協定なんかがあり、その名残もあって、自由なキャステイングができなかった。歌舞伎のほとんどを松竹がマネージメントをしていますから、東宝が先代の松本幸四郎一門を抱えていた頃は、東宝も盛んに歌舞伎をやっておりましたけれども、その後は、松竹から当時の染五郎を借りてきて『ラマンチャの男』や『王様と私』をやらせるというような、非常に不自由をしていた頃でございます。
それは今でも続いているわけなんですが、そういう時に吉田さんという人が異色なプロデュースを始めた。これはその当時のサンケイホールが、産経新聞でしようけれども、あるいは産経ビルでございましたんでしょうか、どっかの親方が付いたから成立した公演なんです。だから吉田さんといえども、その親方の一雇われプロデューサーだったのです。
話がちょっと脱線しますけれども、税金、税制の問題はすぐさま解決するわけではありませんので、じゃ英米並の個人の発想力というものだけを取り上げて、日本でプロデューサーの理想的な社会を作るのはどうしたらいいのかということを、時々ふっと考えることがあるんです。東宝のプロデューサーというのは契約社員で、割合フリーの仕事もできるようになってます。松竹は正式な社員がプロデューサーをやって、私どももドラマシティの社員がプロデューサーなんです。ですから私が考えるにプロデューサーは全部それぞれの会社組織から独立してですね、なんかこうプロデューサー連盟みたいなのを作って、そこへ登録をする。いろんなプロデューサーの集団ですから、それをまとめるのは大変でしようけれども、事務局があっていろんなプロデューサーがいろんな企画を上げて、ああこの企画は東宝向きだ、これは松竹向きだ、