やりました。日本の翻訳ミュージカルの第一弾は『マイ・フェア・レデイ』なんです。昭和38年でございましたか。その後『ラマンチャの男』とか『屋根の上のヴァイオリン弾き』とか、東宝が連綿と再演を重ねております、ミュージカル公演の礎を、菊田さんがお作りになった。もし現在、菊田さんがいらしておれば、こういう方が自由に腕を振るえるんだろうか。もちろん会社組織の中ですから、松竹のようにはならないと思いますが、見識がありなおかつ実力があり、地位もあるこういう方が、ジェネラルプロデューサーとしていらした時代があった。なぜそういうことを申し上げるかといいますと、演劇プロデュースというものは、別の見方をすると大変個人的な仕事なんです。三人寄れば文殊の知恵で、いろんな企画会議、あるいはアートマネージャーの会議でいろんないい知恵が浮かぶかもわかりませんが、まずいい知恵が浮かんだ、いい企画が浮かんだのを振り返ってみると、必ず誰か一人の個人がその原初のプランを言ってるのに違いないと思うんです。
演劇プロデュースのスタートは、まず個人である。だから欧米は自分のやりたいものはその個人がお金を集めてきて、勝手にやればいいじゃないか。その個人のプロデューサーの力量に応じて、興行会社は経営する劇場を提供する。こういう自然の図式ができてるんですけれども、日本の場合は企画会議であるとか、あるいは強力な菊田一夫さんのような人がチーフプロデューサーの場合は、その人の意思で、いわゆる事務的なプロデューサーがそれを受けてやる。東宝演劇部のような形で個人の菊田さんの発案、菊田さんのプランニングを立ち上げていくと、キャスティングやスタッフの選定、作品の選び方から、自分が書かない場合は誰に芝居、台本を書かせるかとか、そういうことも含めて菊田さんが命じられたわけです。
演劇プロデュースの大きなポイントは、個人の力が大変大事なのです。川に例えますと個人の知恵がまずプロデュースの源流、源泉になる、こういうことだと思うんです。大手興行資本に抱えられているプロデューサーであろうが、個人のプロダクションの社長であろうが、あるいは劇団四季は浅利慶太さんと言う大ジェネラル・プロデューサー、演出家がいらっしゃるわけですが、全てのプロデューサーである。ワンマンである。こういうことです。
ですから、プロデュースのやり方というのは、手持ち資料のマニュアル通りにやっていれば、よほど妙なトラブルが発生しない限りは、無事に幕が開いて無事に千秋楽が迎えられるだろうと思うんです。
私はプロデューサーの仕事を簡単に言えば、まず第一に発案力、第二も発案力、三番目にいわゆる人的交流と申しましょうか、そういう人的交流によって四番目に収集した情報、そして五番目に初めてそれらを総合的にプロデュースに活用して立ち上がる。こういう五つのポイン