ローソクを灯し、ゆつくり語り始めると、子供たちは目を輝かせ、やがて語り手の私といっしょに昔話の世界に遊びます。
さまざまなジャンルのお話がある中、私が特にふるさとの昔々にこだわるのは、子供たちの心の中にすばらしいふるさとを育てて欲しいと願うからです。
せせらぎのサワガニ、くぬぎ林のカブトムシ、小川のホタル…。昔は子供の遊び友達だったそれらの姿を見ることは少なくなりました。六年生に手を引かれて必死でついて行く一年坊主。下級生の女の子にレンゲの首かぎりをかけてやる上級生。そんなほほえましい姿も見られなくなりました。
私たちの年代は、そんな日常の小さな経験の積重ねの中から、生活の知恵や、命の尊さを学んできました。今、昔の子供の生活や遊びを語ることで、ふるさとの温もりを伝えることができると信じています。
私がライフワークとしている「香芝の民話」の収集も、語り部としての私の中で大きな存在を占めています。
「この椿にまつわる話」「あの井戸に伝わる話に「今はないけれど昔はここにあった松の本性そうした生活国の中にあるモノを題材にした話が、子どもの心におみ込んでいくのを、私は語り続ける中で知りました。
この子たちが、将来激動の世相を生き抜く中で、心の片隅に蓄えてきた故郷の温もりが、きっと生きる支えになってくれると信じたいのです。
今一つ、私たちの世代が語り継がねばならないものに「戦争体験」があります。
食べるものがなくていつもおなかを空かせていたこと、学用品がなくて一本の鉛筆を分け合ったこと、希望に燃えて入学した女学校では、勉強そっちのけで勤労奉仕に明け暮れたことなどを語ります。空襲で家を焼かれた人、亡くなった人、怪我をした人、肉親を失った人、そんな人たちの思いを話します。
戦争を体験した人の中でも「あんな嫌な時代のことなど、もう思い出したくもない」という人は少なくありません。でも、思い出したくもない話だからこそ語り継がねばならないのです。
「お話のおばちゃんまた来てね」と言ってくれる子どもがいて、語りの場を与えてくださる先生がおられる限り、私は「戦争体験」を語ります。
平和で満ち足りているはずの現在なのに、暗く悲しく腹立たしいニュースがあとを断ちません。語りを通して、子供たちの心の中に命の大切さを育むことより他、今の私に出来ることはないと思っています。私の拙い語りから、人間はみんな助け合って生きているのだと子供たちに気づいて欲しいのです。
私は自分の住む香芝市が大好きです。歴史と文化に支えられて躍動する若い町「香芝」に期待しています。私たちが次の世代にバトンタッチする町は、弱い者も強い者も、年寄りも子ども、女も男も、誰もが「大好き」と言える町でなければなりません。
私はこれからも、故郷への、そして子供たちへの、そんな願いを込めて語り続けて参ります。