ほのぼの賞
高奉淀
72歳 兵庫県尼崎市
テーマ
若い世代に託したいこと
サブテーマ
「あの時、国境は無かった。民族の壁を越えて人間愛、心に刻む」
親愛なる日本の皆さん、私は在日朝鮮人一世です。私はあの阪神大震災を通じて一生忘れる事の出来ない貴重な体験をしました。地震の無い韓国の済州島で生まれ育った私には阪神大震災は全く初めての体験であり、恐怖の一瞬でもありました。あの日夜明け前、ドンという大きな音と共に二階がはげしくゆれ、私は倒れたタンスの下敷きになってしまったのです。妻の「アボジ、アボジ。」と泣き叫ぶ悲鳴に気を取り直し助けを求め、無我夢中でタンスの下からはい出し九死に一生を得ました。このように私の地震被害も凄かったのですが、在日同胞がたくさん住んでいる神戸の長田区は地震に依る大火事でたくさんの家が焼け多くの人々が死に、その惨状は目をおおうばかりでした。私はこの惨状を見た瞬間、その昔、関東大震災の時の朝鮮人大虐殺の様子が頭をよぎりました。しかしこれは私のとんでもない杞憂にすぎませんでした。この悪夢は昔のこと、阪神大震災では民族の壁をこえ韓国朝鮮人と日本の方との友好親善の無数の美談が生まれたのです。神戸の震災の激しかった地域にある朝鮮人学校には韓国朝鮮人、そして日本人の別なく多くの人々が避難し各地からやってきたボランテイアの同胞たちが炊いてくれた朝鮮式雑煮の温かい「トック」に舌鼓を打ち、ようやく助かった気がすると異口同音に感謝し協力し合う在日同胞と日本の人たち。私もその中の一人でしたが、このような友好親善の助け合いに神戸長田区のある町会長さんは目の前に朝鮮学校があるのにもかかわらず一回ものぞいた事もなかった。ところが阪神大震災で一緒に共同生活をする内に韓国・朝鮮の人々の暖かい情に接し今まで余りにも無関心だったと率直に話しながら今後は在日の人たちとももっともっと仲良くし朝鮮学校も支援しなければと涙ぐみながら話すのでした。
またある著名な評論家や有力新聞の文芸欄の審査員も避難生活中、在日同胞たちが自分達も被災者なのに率先して炊事を担当し皆の世話に走り廻っているのを見て目頭が熱くなったとその感動をそれぞれ新聞紙上に発表してくれました。私は民族の壁をこえて人が人を助ける人間愛といいましょうか。国際愛、即ち博愛精神といいましょうか。何とも言えないその美しい姿に感動を抑えることが出来ず新聞に投稿し、それが載りました。
すると又多くの日本の方々から激励の手紙や電話、ひいては沢山の生活用品、そして静岡のお寺の和尚さんは数百冊の般若心経も送ってくださいました。高槻市の小学校の先生は三十万円ものお金を朝鮮学校再建の費用にと送ってくださいました。ほかにも先生方は義援金やら教育図書なども送ってくださりおかげで被災朝鮮学校は今春、めでたく新校舎の竣工式を挙げることが出来ました。
私は美しい日本と日本人の優しさ親切さをしみじみと感じた次第です。私は在日一世で過去の日本軍国主義のもと母国語と名前を奪われる民族的差別とその上徴兵で兵隊に取られいうに言われぬ辛酸をなめました。即ち民族の「ハン」(恨)を背負っておりましたが、阪神大震災の極限とも言える状況の中で、繰り広げられた人間愛、花開いた国際愛の韓国・朝鮮陣と日本人との素晴らしい心の交流、そして助け合いに、私は過去の忌まわしい「民族のハンに(恨)の思い出もきれいに拭い去られるような気がしたのです。この人間愛、この団結の力こそ大地震に打ち勝つ力であり、素晴らしい神戸の復興をもたらすものと信じて疑いません。勿論、今も在日同胞には様々な形で差別されたり、人権侵害も残っています。しかし私はあの大震災時の国境もなく民族の