という気持ちが、伝わるのかも知れません。現在の私は、このように手足に補装具を付けられ、車椅子寸前の障害者ですが、マイクに向かって朗読するという仕事に恵まれ、生かされているのです。
最近、ある利用者の方から、点字の御礼状が届きました。それには「鈴木さんのような方は、神様のような心を持った方と思います。」と、書かれてありました。このような利用してくださる方の一言一言が、私に生きる勇気と、生かされているという、感謝の心を与えてくれるのです。病気になって良かったとは、決して言いませんが、この病が、人生を見直すきかっけになったのは事実なのです。自信喪失からの回復で、健康だった時の二倍も、三倍も強い自分になっている気がします。そして、障害を持って、とてもとても不自由ですが、決して不幸ではないと自信を持って言い切ることができるのです。これからも、この大きな社会の中で、ほんの小さな一隅だけでも照らし続けられるような、生き方をしていきたいと願っている私です。聞いていただいて嬉しく思います。ありがとうございました。
ユニーク賞
藤田俊文
63歳 奈良県奈良市
テーマ
若い世代に託したいこと
サブテーマ
「教育のビッグバン」を
『昭和二桁夢ツバメ』という石川さゆりさんの演歌がありますが、私は、昭和一桁夢ツバメの方で、四十年近く勤めた仕事を終えて、今では毎日空いた電車に乗って、嘱託の仕事に通っているところであります。今更『若い世代に託す』など、とても気恥ずかしく、また昔から説教は、聞いた試しがないと言われていますが、今一度若い人達と一緒に考えてみたいのです。
さて先日も、ラジオで「いつから日本はおかしくなったのだろう」というテーマで放送しておりました。確かにここ数年、金融機関の不祥事、凶悪な青少年事件等、社会情勢は、残念ながら将来に向かって、不安材料に満ちております。不安といえばある新聞論調で、高齢者の三不安とか言って高齢者は、ガン、ボケ、介護の三つの不安を抱えているとのことです。が、私は、さらに加えて日本の将来へ一抹の不安を覚えるこの頃なのです。
ところで、皆さん住専問題の処理に奮闘しておられる、中坊公平社長をよくご存知だと思います。あるニュースキャスターが中坊さんに「住専や大手の金融機関の不祥事が次々起こってきたのはどうしてでしょう?」と質問していました。すると、中坊さんから「今や裏の社会が、表の社会へ大きく入り込んでしまったのでしょう。そして、日本人がいつの間にか物事に対して『割に合うか、合わないか』という物差しで推し量るようになってしまったからではないでしょうか…。」という答えが返ってきました。つまり、自分にとって損か、得か、そういう尺度を当てて自己の行動を決定づけているのです。そして目に見える金銭や自分の欲望を満たしてくれるものを追い求めてきたのです。
今から三十年程前になるでしょうか。過激な学生運動によって大学が混乱に陥った時代がありました。この行為の是非は別にして、当時の学生達は『割に合うか、合わないか』という判断で行動していたのでしょうか。それに比べ、今の若者の代表である学生達を見るとき、自分の就職だけを常に射程距離において、平和をむさぼり、そして心のどこかに『割に合うか、合わないか』の考えが根づいているように思えてなりません。一方子供たちに物事を頼んでも「そんなん損や、しんどい。」「僕だけ損や、あほらしい。」と言う言葉がよく返ってきます。ここでも『僕にとって、私にとって、損か、得か』の尺度が強くはたらいているようです。
子供たちや若者の教育の場は、学校だけではありません。全ての生活の場が教育なのです。ところが、ある企業の幹部が新任社員を前にして、次のような話をしていたのを聞いて耳を疑いました。「我が社は、文化や社会への貢献はあまり考えていない。そ