に突如襲われました。私は観世流能楽師の師範であります。私の生き甲斐である能がもう出来なくなったのです。生きる力もなくなりました。”私に残っているものはあるのだろうか。“ありました。それは声だったのです。そこで勇気を出して「こんにちは。」「どちらへお出かけですか。」「いいお天気ですね。」など自分からすすんで声をかけるようにしました。気が付くといつの間にか私は、アリ地獄から抜け出していました。それどころか心と体の健康を取り戻して、再び謡曲が出来るようになったのであります。大事なことは、心の元気であります。
私は謡曲を皆さんに教えようと思いました。謡曲教室を通して、老人ホームに明るいコミュニケーションが生まれました。廊下でも、庭でも、食堂でも元気な声で、「おはよう。」「こんにちは。」とにっこり笑って挨拶を交わします。「風邪引いちゃってね…。」「岐阜県の人って風邪引かないの知ってる?」「まさか。」「本当だよ、うがいしてるじゃない。」ワッハッハ…時にはこんなユーモアも生まれます。
高齢者は長い人生を歩んできた人たちです。それぞれの特技があるはずです。それを生かして行くことが大事だと思います。そんな思いで今日も教室に立っています。〈つきせぬ宿こそ、めでたけれ。〉高齢者の心に、元気印を!
ユニーク賞
太田瀧次
82歳 香川県高松市
テーマ
若い世代に託したいこと
サブテーマ
奉仕は人生の家賃なり
今日は皆さんと私は友達です。皆さん幸せになりましょう。
さて私の家庭教育は、母ちゃんが「奉仕は人生の家賃なり」これを念には念を入れて、教えてくれました。私は生活のあらゆる場で、この母ちゃんの教えをきちんと守っております。その一例を申し上げますと、我が家では毎月、 一のつく日には、家族全員が貯金箱に応分の奉仕貯金をいたしております。それを十月の共同募金と年末の助け合い運動に、配分して寄付しております。また五のつく日には、できるだけゴミを出さないように気をつけ、万一ゴミを見つけた場合は、率先して整備するようにしております。こうした行為は日常生活の中で、いつでも誰でもできる極めて簡単なことでございますが、この行為の積み重ねによって、人をいたわり、人を思いやる、人間愛の精神が育ち、人権尊重の精神が強く育ち、資源を愛するやさしい心が大きく育っておるのであります。私はこの行為こそ母ちゃんが言った「社会への家賃」だと考え、あわせて親孝行の道であると考えて、いつも心に誇りを持って実践いたしております。
また私は若い頃、教師として努力いたしました。私が担任した学級の級訓は、すべて「奉仕」、この「奉仕」で三十年一貫しました。最近教え子の中から、「先生、僕はお父さんのあとを継いで、社長に就任しました。我が社の社訓は、先生から教えていただいた奉仕です。社員がよく働いてくれますので、厳しい業界ではありますが、会社は順調にいっております。」と言う便りを聞いたとき、少年のうえに植えた奉仕の精神が、五十年たった今日、そうそうたる大樹として成長していく姿を見たとき、嬉しくて嬉しくて、感涙にむせびました。私は教育の原点を「奉仕」により、心の教育を延々として励んでまいりました。私の教育によつて、多くの子供が大きな幸せを、勝ち得ていくその姿を見たとき、このうれしさはまた格別であります。そうしたときしみじみと母ちゃんを偲び、母に感謝の祈りを捧げております。私は退職後十七年にわたつて、自治会長をつとめ、今日にいたっておりますが、機会あるごとに会員の皆さまに「奉仕は人生の家賃なり」をおはなし申し上げ、それぞれの立場で、気付き、考え、実行していただいております。おかげで、私の自治会には「不登校児」は一人もいません。また「家庭内暴力」「いじめ」など全く無縁のものであります。
今、私が若い世代に託したいことは、「日本の誇