ゆえの家庭内暴力や問題行動をおこしてSOSのサインをおくっているに違いありません。またその親達も思いも寄らない子供の荒れの姿になすすべを失い、ぼう然と助けを求めているのです。「よし、落ち穂拾いの行脚の旅に出よう。」再出発の道中の中で、 一人一人の心によりよく生きる勇気を語っていこう。そして子供と学校と家庭と地域の掛け橋、パイプ役として人々の心をつなぎ、子供の自己実現を共に見守っていこう。それが今私がしなければならない社会への貢献であり、報恩・感謝ではないだろうか。そう決心したのです。私の教職経験や子育て体験や熱意や誠意だけでは立ち向かっていくことのできない、現代の子供たちの抱えている病理現象の奥深さが厳しく私に追ってまいりました。再びの学習、より深い子供の内面を理解する、より確かな臨床の地を求めて、大学院の間を叩きました。六二歳からの学生。文字どおり生涯学生であります。今、私は、昼間は自分の教職経験を全部つぎ込んで相談の生々しい訴えに全力で共感し、共に悩み、手助けをしながら、その訴えを自分自身の課題として受け止め、夜の大学院では、その課題解決の英知を求めて学習しています。相談者の一人一人の心に届くぴったりの助言をみがいているのです。
教育とは、共に希望を語ることである。希望を語る中に、明日が見え未来が輝きます。日本の未来、人類の未来を託す子供たちの確かな自立と自分探しの旅の道標として、まわりの人達と手を組んでその力を広げながら頑張ってまいりたいと思います。最後に、「親たちよ。たとえ今雨が降っても曇っていても、見よ、雲の上には太陽がある。」「子供たちよ。よりよく生きよう。自分らしく精一杯生きよう。未来が君を求めている。」と語り続け、寄り添い続ける行脚の旅をライフワークとして続けてまいりたいと思っています。