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の上気した声。時には罵声がとびこみます。私の教育相談の一日の始まりです。「ふんふん」「そうそう」「それ大事なのね」少しばかりの電話のやりとりの中で、「よくわかりました」と落ち着いた声になり「がんばってみます」という明るい前向きの声になって、ほっと、受話器を置く時、二時間を超える時さえあります。また反対に「先生学校行けるようになったで」と元気な声が飛び込んできて、思わず涙ぐんで「よかったね」と声を詰まらせながら祈りの言葉で返す。逆に私が励まされているということもございます。私は退職するまでは四十年間小学校の教師として、 一人一人の子供に寄り添い温かい心の通う教育をしてきたつもりでした。それが、私の教育信条だったからです。ところが、相談に関わる中で、それは一人よがりの自己満足であったのではないかと考えさせられました。相談される人の年齢やその内容や訴え方はそれぞれに違っていても、そこには、善良な生活者としての子供や親の飾らない本心が苦悩の解決を求めて必死なのです。「ああ、私が今まで見て来た、接して来た親たちの姿は、所詮、学校向きの先生向きのよそ行きの姿であったのか」、「子供の目線に立って、実態からの出発を教育の原点として来たことは何だったのだろうか」。また、親達の未熟な子育ての姿や無責任な態度に「あんた親でしょ。しっかりしてよ」と思う反面、この親達もまたかっての自分の教え子ではないか。さらには、相談の電話は、学校が始まるととたんに激しく鳴り、学校が休みになると静かになるという現実を前に、本来子供の幸せの為に有る学校が、子供や親の悩みや苦しみを生み出す元になっているのではないか。一体、学校というのは何なのだろうか。深い自責の念をもちました。

人生の黄昏を迎えた今、自分にできることは何だろうか。あのミレーの名画に思いを重ねて、長い教職経験をふり返り、その道中で落としてきた大切な稲穂を一つ一つ丁寧に語りかけながら拾って行こう。私の見落としてきた稲穂たちが、友達と仲良くしたいがうまくできない悩みを、陰湿ないじめの姿として、学校へ行きたいが行けない苦しみを増え続ける登校拒否として、成長

 

 

 

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