す。袋が空っぽだということは、人間として成長していくための心の栄養を与えてもらえないことなのです。童話はまさに心の栄養です。私は童話を大きく二つに分けています。 一つは『桃太郎』や「白雪姫』のような架空の内容をもつたメルヘン童話、もう一つは架空と現実が融け合って展開するファンタジー童話です。『赤ずきん』、松谷みよ子作の民話『龍の子太郎』などはその例です。子供が童話を聞くということはそうしたメルヘンやフアンタジーの世界で遊ぶことなのです。心の遊びです。その心の遊びによつて、命の大切さ、自然との関わり、人に対する思いやり、動植物へのいたわり、さらには冒険心・好奇心など、人間として生きてゆくための心の栄養を知らず知らずのうちに「おはなし袋」に満たしていくのです。しかしこのごろは映像中心の時代、子供が好んで見るものは強烈なパワーを持ち、格闘や暴力によつて相手を倒すものだといわれます。おそろしいことです。童話の語りには悪辣な場面も心臓を突き刺すような激しい言葉もありません。語り手のナマの声が、純真な子供の心を温かく温かくゆさぶるのです。最近、いじめ、青少年の犯罪等が激増しています。しかもそれは陰湿で、凶悪で、残虐であります。そうした行動をとった子供たちは、幼いころ童話によつて心の遊びをしたのでしょうか……。おはなし袋が満たされていたでしょうか……。私は忍び寄る老化現象を実感しながらも、体の自由と、自転車に乗れる限り、子供たちの「おはなしすきたろう先生」でありたいと願っています。童話会をすませて帰る時、保育園の窓から手を振って私を見送ってくれる子供たちの声が今も聞こえます。「おはなしすきたろう先生また来てね」「すきたろう先生また来てね」