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等については多くの教訓を残したことを指摘しておきたい。

特に、震災直後、怒濤のように寄せられた救援物資は、専門の物流ノウハウを持たない行政にとって少なからず混乱に拍車をかけた面もあったように思われる。今後、大震災はどの自治体においても起こり得るものという前提に立ち、教訓をノウハウとして整理し、後世に伝えていくことが、我々の課題であるといえる。これらの検証は他日を期すこととし、取り合えず神戸からの報告とさせていただきます。

※本文は東京都職員研修所刊の「研修とうきょう’95・秋・第42号」に寄稿したレポートを 再掲・一部加筆したものです。

 

震災時行動記録(1月17日〜20日)

まちづくり推進課 池 上 理 俊

 

◎1月17日

5時46分:東灘区の自分の部屋は、ほとんど全ての物が棚から吐き出され、本棚も倒れた。普段から地震対策として、就寝時に何か倒れてきても自分の所には何も倒れてこないようにしていたので、無傷で助かる。地震直後に電気・ガスの元栓を止めたが、懐中電灯が本棚の下に埋もれたので、室内の現状確認はかなり遅れ、外が明るくなる6時30分ごろまで状況がわからないままだった。

周辺の無事を確認した後、役所に行く準備を行う。

7時00分:まず最寄りの東海区役所に向かう。国道を通ったが、木造家屋の殆どが倒壊し、通行困雑な場所も多く、救出活動が方々で行われていた。火の手も数カ所から上がっていたが、いずれも延焼している模様はなかった。国道は既に渋滞していたが、これは所々ある倒壊家屋により通行が阻害されているもので、それ以外の所は流れているようであった。

 

7時15分:隣接の消防署は既に開いており、市民が列をなして殺到していた。一方東灘区役所は表の扉も開いておらず、西側の宿直さんのいる通用口に行っても中が散乱しているだけで、誰もいない。しばらく外から中をうかがうが、誰も出勤していないようであったので、中央区役所へ向かうことにする。長田区役所の職員1名もその時出勤しておられたが、同様に自分の職場に向かわれた。私は自転車置場から自転車を失敬する。途中、実家に寄って無事を確認。

8時30分:中央区役所に着いたときは、既に4、5名が出勤していたようで、1階に集まっていた。すぐに4階に上がり被害を確認する。まちづくり推進課の部屋は書類棚が倒れ、机がパラバラの位置になって書類が散乱していた。総務課も棚は倒れていなかったものの、同様の状態であった。

部屋内の写真撮影、通路の確保を行っていると、総務課の脇田さんが出勤、次いで副区長が出勤される。副区長室の整理を行っていると、地域福祉課の今村課長と森田、茶屋道両係長が出勤、課長から課の職員の安否確認の指示を受ける。電話での確認は意外にたやすく行える。ただ、土井係長、居川さんの2名のみ確認とれず、不安になる。確認後、1階に対策本部が設定されたとのことで1階に下りて集合する。既に市役所と連絡を取るなど、本部設置に向けての準備がなされていた。今村課長から区内の被害確認の写真撮影の指示を受ける。

 

9時〜 :カメラ2台を持って街に出る。被害の全容を知らないため、何から撮ればいいか判断に迷う。市内は既にカメラを持った市民が多数出ており、車の渋滞も始まっていた。特に民家の撮影には気を使った。区内を回った経路は概ね以下の通り。

区役所―小野柄通―そごう前-交通センタービル前-JR三ノ宮駅北側―琴ノ緒町-二宮町-加納町交差点―中山手1丁目-トアロード-大丸前-旧居留地―八幡通-磯上通-御幸通-小野柄通―区役所(正午頃に帰着。)

正午頃?:この頃には、財田課長、土井係長、居川さんも出勤される。他の方は出勤不能。しばらくは応対などを行っていたが、立ち上がりの時期で多くの人が待機している状態であった。

 

13時頃?:人が3名必要だということで、志願する。遺体安置所の設営の指示が出る。遺

 

 

 

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