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あり、また、早期発見後、対応策によっては生活がよく維持できる場合もあります。

先ほど、座敷牢という表現がありましたが、風邪をひいたら医師へ行くのと同じように、痴呆についてもだれでもがなる病気という認識をもって、解決の糸口を外に向け、もっと気軽に他人の助けを求めるべきでしょう。

日本では、まだ痴呆は恥ずかしいものと考えられているようですが、稲庭先生、そのあたりを含めていかがでしょうか。

【稲庭】 痴呆に対する考え方は地域によって全然違うと思います。私がいる秋田県には、県立脳血管研究センターがあり、教育・啓蒙に関してもかなり進んでいます。

私はこれまで、早期診断、治療、リハビリの必要性、それによる生活の維持・改善の可能性、あるいはどこに相談すればよいかの情報というようなことを小まめに話してきました。その結果、10年ぐらい前までは、重度の痴呆症状にならないと受診しない人がほとんどだったのですが、最近では、このくらいの物忘れは痴呆なのか、あるいは年相応なのかと、たった1人で受診される老人も結構多くなりました。やはり教育や啓蒙活動はとても大事なことと思います。

しかし、この啓蒙がうまくできている地域とそうでない地域、また在宅サービスが進んでいる地域と進んでいない地域があります。秋田市では、デイケア、デイサービス、ショートステイ、24時間のヘルパー組織など、どれでも選択できるスタイルになっているのですが、市町村によっては、そういった施設でさえまだ十分ではない地域が数多くあります。

これからは、それぞれの地域が一丸となって、その必要性を行政に働きかけ、それを政策としないような市長や知事は当選させないというぐらいの厳しさがないといけないのではないでしょうか。

【紀伊國】 まさにそのとおりです。アメリカでは、レーガン元大統領が、アルツハイマーであることを率直に公表し、自分の妻の苦しみをやわらげるような社会的なサポートが必要であるといったのですが、これは大変な勇気だったと思います。

原先生、地域性ということも含めて、どのようにお考えですか。

【原】 日常的な診療のなかで、地域性についてはつくづく感じることがあります。私は郡山市と田村郡との境目の町で活動しているのですが、たとえば、郡山市の場合は、週1回の入浴サービスがコンスタントに利用できますけれども、隣りの町では同じような利用が難しいのです。あるいは、訪問看護ステーションは行政区域とは関係がないので、地域に制限なく自由に行き来できますが、ホームヘルプセンターなどの行政単位で機能しているサービスについては、地域別に完全に分けて考えなければいけないのです。

また、たとえば郡山市の病院で、脳卒中などの急性疾患の診療を終えて退院する場合、退院時の対応として、郡山市在住の人には郡山市の脳卒中情報システムによるサービスメニューが用意されているのですが、別の町に住所がある人には違うメニューとなっており、その選択メニューはまったく異なってきます。

地方分権といわれる流れのなかで、公的介護保険制度を含めて考えると、これはますます大きな問題で、これからは政治的なことも含めて考えていかなければいけない点が多くなるのではないでしょうか。

【紀伊國】 おっしゃるとおりです。在宅ケアを支えるには、少なくとも最低限度のメニューが必要です。そして、できれば24時間体制のサービスであってほしい。12時間のサー

 

 

 

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