を考えると、継続的に介護、管理している担当者をはっきりと識別していくべきだと思います。
つまり、患者にもし危機的な状況があったなら、だれに接触すればよいのかをきちんとわかるようにしておく必要があると思います。それは医者でも家族のだれでもよいことで、とにかくきちんと設定することが必要だと思います。
【ルンドストロョーム】 たとえば、アルツハイマー病の人と住んでいるような場合、昼間はアシスタントに来てもらって、夜は自分が面倒をみるというようなことも考えられると思います。そして、あまりにも負担が大きく同居ができないような場合には、家を売って、アパートを2軒買って、1つは健康な人のため、もう1つは痴呆症の人のための住まいとして、そこにパーソナル・アシスタントの人が24時間体制で住み込むというような体制も取れるのではないでしょうか。
【紀伊國】 ほかにご質問はありませんでしょうか。
【質問者】 先ほどから、施設ケア、在宅ケア、あるいはこの2つの組み合わせがどうあるべきかと話題になっています。スウェーデンやデンマークなどヨーロッパの福祉先進国では、在宅ケアというものを重視する方向になり、日本の医療、福祉にもこれを取り入れていくべきだという論議があったように聞いています。
さて、在宅ケア、あるいは施設ケアを考える場合、どちらにどのくらいのコストがかかるかということではなく、だれのふところからどういうお金が出ているのかということが、まず最初に問われなければならないのではないかと思います。そして、だれにとって在宅ケアがよく、だれにとって施設ケアがよいのか。このあたりを重視して考えなければならない面もあるのではないでしょうか。
2〜3日前にある人から聞いた話では、病院に湿布薬をもらいに行ったら、医療費が改定されたため、少し前までは200円だったのが800円も取られたというのです。この医療費の問題と同じように、いま私たちが、いわゆる障害者のケア問題を考えるときにも、どういうお金がどこから出ているのかについてきちんと整理しなければならないのではないかと思います。
そういう点で考えますと、稲庭先生がおっしゃったように、痴呆の症状をもつ障害者のためには、いわゆるグループホームなども含めた視点での在宅というものが追求されてしかるべきではないでしょうか。
実は私も、ある施設で痴呆老人と接する仕事をしていて、その経験から思うことなのですが、国や自治体などのお金を出すところは、一定の基準を設けて、大規模な施設をつくりたがる傾向にあります。しかし、実際そこに入る人たちにとって、はたして大規模な施設がよいのかとなると、決してそうでもなさそうに感じられます。痴呆老人のケアを全人的に考えなければならないとすれば、やはりそれは1つの職種だけではなく、いろいろな職種がかかわり合えるようなシステムで、なおかつ小さな規模の施設が最も好ましいと思うのです。
また、スウェーデンのルンドストロョーム先生は、健康な人と痴呆症状をもつ人は、ミックスしないほうがよいと考えられているようですが、そのあたりに関するご意見をお聞きしたいと思います。いま、いろいろなグループホームができていますが、さまざまな痴呆の症状の人がそのなかでお互い助け合っていくことも場合によっては必要だと思うのですが、いかがでしょうか。