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ヴァージニア W.バレット

 

のビルで補助を受けて生活するわけです。高齢者は、食事は食堂でみんなといっしょにとりますが、それぞれ自分のマンションがあり、そこに帰ればそれなりの施設も整っているのです。

もっと援助が必要な高齢者には、ソーシャルワーカーを通じて、だれかが身の回りの世話、買い物などを行うシステムになっています。病気になれば、急性の患者を扱うベッドがある別のビルに移ります。そこでは長期ケア用のベッドも整っているのです。また、デイケアセンターがあり、ジェリアトリックケアセンターに住んでいない人もデイケアを受けることができます。

つまり、ジェリアトリックケアセンターにはすべてが整っているということですが、在宅ケアと施設ケアのそれぞれのサービスは、競合するのではなく、目的は同じなわけですから、お互いに助け合うことになります。これらのサービスは、コミュニケーション、連携を取り合って、計画段階から整合性がうまく整っているのです。

【紀伊國】 ある程度同じような場所に、施設ケアやグループホーム、あるいは訪問看護ステーションなどがあったほうがよいのか、逆に、別なところに位置していてもうまくいくものなのかについて、皆さんどのようにお考えですか。

【バレット】 私の経験によりますと、やはり1か所のほうが効率がいいと思います。

【紀伊國】 そうであるならば、それは精神科の領域だけでいいのでしょうか。いわゆる全人的医療という意味から考えた場合、稲庭先生は、なぜ1つのコンプレックスが必要であるとお考えになっていますか。

【稲庭】 紀伊國先生がいまおっしゃったように、痴呆を考える場合、精神科だけでは問題は解決しないのです。やはり体をみる医者、内科をみる医者、そのほかのリハビリのスタッフは当然必要で、また食事、口腔ケア、排泄などのすべての専門職が合同でチームとなって取り組まなければできないことです。そういう意味で、特に医療が濃厚にかかわるケースでは、私はまとまったほうがよいと思います。ただ、医療がそれほどかかわらないとしたら、それぞれの地域で行ってもかまわないと思います。

それから、先ほどからでてくる在宅という言葉の意味が食い違っていると思います。在宅という場合、家族という意味ではなく、要は自分が住んで暮らしたい場所という意味です。あるいは、自分がともに暮らしたい人。だから、グループホームも在宅になりますし、独り暮らしや老夫婦だけの生活も在宅です。

【紀伊國】 在宅ケアは、いわゆる家族に押しつけることを意味するのではなく、むしろ、その人が長く住んでいたいと思うところでケアを受けるにはどうすればよいかという意味であることを、われわれの共通認識にしたいと思います。

ルンドストロョーム先生、いまの議論を聞かれていて、なにかコメントがありますか。

【ルンドストロョーム】 スウェーデンでは、これまでにいろいろなことをやってきました。60年代には急性の病院、70年代にはサービスハウスをつくり、80年代になるとプライマリーケアを発展させ、90年代はグループホームをつくっているところです。このようにいろいろなステップを踏んできているわけです。

70年代に始めたサービスハウスは、約100人ほどのためにつくられたものですが、入居者は80〜85歳ぐらいになっており、その約30%ぐらいが痴呆症になっています。ところが、その人たちはハウスからなかなか出ていかないわけです。そこで、それまでのサービスハウスを、ある場合にはグループ住宅にし、またある場合にはナーシングホームに

 

 

 

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