ると考えています。いまの施設サービスは、鉄筋コンクリートの建物にお金をかけて、人手、ヒューマンパワーにはお金をかけません。在宅サービスでは人手に経費をかけて、ハード面にはお金をかけていません。どちらも1か月に約40万円の経費になると考えています。そのあたりのバランスを考えながら、経済効率よく、なおかつ自分で選べる人生が全うできれば素晴らしいと思います。
【紀伊國】 この高齢者ケア国際シンポジウムに長年携わっているものとして感じることは、高齢者問題を考える際に、高齢者自身はまったく発言せず、若い人、お金を出す人だけが「高齢者ケアはどうあるべきか」という発言をしているように思います。これは実におかしなことで、高齢者自身が積極的に発言すること、また、それが可能になる社会を築くことが基本になると思います。
さて、それでは会場の皆さんの質問、意見をお聞きしたいと思います。
【質問者】 家庭でも病院でもお金がかかることは事実で、特に人件費に経費がかかります。最近日本では、在宅介護に力を入れていますが、たとえば病院の施設であれば、1人の介護者が何人かを介護できるのに対し、家庭では1対1だけでは足りず、家族のみんなで協力しなければなりません。
そういう意味で、お金がかかることは同じでも、病院のほうが効率的だと思います。また、年をとったら、お金のない人も、ある人も、同じ施設で平等に生活ができるようにならなければならないと思います。イギリスの施設をみてうらやましいと感じたことは、「私はいくらお金を出しました」「私は無一文で入所しました」というさまざまな人が平等に同じ生活をしていることでした。いろいろ難しい問題がありますが、日本もこのような状況になれるよう望んでいます。
【質問者】 私は、痴呆症にならない研究を推進したほうがよいと思います。そうすれば、痴呆介護を取り巻く問題もなくなるのではないでしょうか。
【紀伊國】 おっしゃるとおりなのですが、現実には、痴呆の患者が今後非常に増えることは間違いないわけで、それに対して、福祉面だけではなく医療も含めたケアをどうすればよいのかが話題になっているのです。
【質問者】 先進国では在宅ケアの方向へ向かっているということですが、ところが現実は、たとえば八戸地方では、痴呆を発見するというよりも、むしろわかっていながら隠そうとしている事実、できるだけ入院させまいとする現実、そして家に閉じ込めておくというような現状があるわけです。これは、これからの啓蒙活動で徐々に解消していくものと思いますが、思想的な面として、在宅ケア、施設ケアについて、深く考えていく必要があるのではないでしょうか。
日本の場合、急激に少子化が進み、各家庭に介護を行える人自体が減少しているという現実があります。そうすると、ある特定の場所にケアを必要とする人を集めなければ、対応できなくなる可能性も出てくるのではないかという不安があるのですが、その点について、もう少し踏み込んだ討論を聞かせていただきたいと思います。
また、稲庭先生の「もみの木の家」での集団レクリエーションについて、具体的にどのようなことが行われているのかをお話しください。
【紀伊國】 結論的には在宅ケアだけでも無理で、やはりバランスのとれた施設ケアと在宅ケアが必要であるという意見とお聞きしました。
稲庭先生、集団レクリエーションの効果などについて、どのようにお考えですか。