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すから、3,000〜4,000人、東有野台を入れましても1万人足らずの人口じゃないかと思うのです。

その中で、私たちのリーダーたる中村恵子さんという方が、一番最初に、パッチワークの教室を開いたのです。そこの生徒さんたちから始まった運動です。その中で細々と始めた運動だったのです。まあ丁度私が今から6年前、彼女の近くに引っ越した。そのころから、かなりいろいろな方が出入りして、パッチワーク教室以外もいろいろと、最初はキレから始まったそうです。キレだけではなくって、紙類、新聞・広告・雑誌それらのものを業者さんを見つけてこられて、それを集めて捨ててしまうんではなくて、リサイクルしましょう。どんな小さな紙でもリサイクルできますよと、再生しましょうということで始まった活動です。

それで、紙類がまず中心だったのです。あとアルミ缶とかいろいろなものを扱いだしました。当初生徒さん中心に集まったグループだったのですが、当時荒ごみのステーションには、かなりいろいろなもの、まだそのまま使えるようなものもかなり出ていたそうです。それを見つけて、持って帰り再利用するとかというような形で、グループが一人、二人と増えていきました。

それでそれ以降は、皆が紙を集めて、中村さんが自宅前を回収拠点としてくれたのです。そこの中にいろいろなもの、紙、アルミ缶それから、スチール缶、布類、それらのものを集めて回収していただいています。その中に私も入りこみまして、一緒に荒ごみステーションまで行って、まだ使えるものとか、結構荒ごみの中のビニールの袋の中に缶とかびんとかも混ざっていたのです。そういうものは、びんはカレットにして使えるし、缶はもちろんアルミとスチールに分ければリサイクルできます。私たちはそれを拾いあげて、彼女の家に持って帰り、中を水で洗って、リサイクルのほうに回していたのです。

そういうことをしながら、一人増え、二人増え、また一人減り、二人減りして、増えては減り、増えては減りで人数としてはそれほど多くはなかったのです。ただ、彼女のところに毎月1回、紙類を中心としたアルミとか布類といったものを集めてこられる方は、どんどん増えてきました。登録上は、200人くらいになるそうです。持ってこられる方は、50人くらいなんですが、その方たちを中心として、私たちも何かこのまま物を捨ててしまってはやはり地球を汚してしまうことにしかならないのだ。そこで、荒ごみのほうからちょっと手をつけましょうということで先ほどのようなことをしていました。

まず、中村さんが、自治会の会長をしていらした時から、自治会の中で何かできないかと、彼女の家でやっている回収を自治会単位でしたいということで、お話しになられたのです。でも、そのままは受け入れられなかったのです。アルミ缶のほうは、自治会でこのまま荒ごみとして捨ててしまってはもったいないので、回収拠点まで運びましょうと協力が得られました。

そのようにして、自治会も少しは近づいてきたというか、理解を示すようになってきました。それからあと、石けんを廃油から作っているのですが、その石けんをまた自治会のほうから皆さんにお配りしたり、かなり理解度が深まってきたのではないか思います。

全体的にリサイクルのことを自治会でやりましょうというふうにはなかなか動かなかったのです。

失意の中で私たちも一緒にやっていたのですが、『ゴミ減らし通信舎』という名前をつけて活動を始めました。更に、『ゴミを減らしてみませんか』という機関紙も作るようになりました。私たちは、月に1回の回収の中で機関紙を作ったり、ペットボトルや缶などを扱っている企業、飲料会社ですね。そこにアンケートを出して、どのような考え方をしてらっしゃるのですかと聞いたりそういった活動もしました。今まで、私もよく文句をいっていたのですが、私たち市民が一生懸命やっていてもこんなの無くなりはしない。これはやはり企業のほうに何か言うべきじゃないかなと、実際にアンケートを出すことによって、企業が少しずつ変わってきたのです。

やはり、ペットボトルというのは、はかまを

 

 

 

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