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そこで何か障害が起きないものはないだろうかということで、実はこの原料を開発したのが、オランダのアクゾという会社とアメリカのデュポンという会社です。それにペプシコーラがいち早く目をつけまして昭和47年に製品化をいたしました。当時私もよく覚えているんですけれども、「もうご心配をおかけいたしません」と、ペプシのペットボトルを上からボンボンと落としてですね、「破れません、もうこれでけがはありません」というコマーシャルを出したのをよく覚えております。けれども、当時日本ではまだ原料もございませんし、成型する術もございません。日本では昭和52年に、やっと国産品の原料が少しできまして、キッコーマンさんの醤油に使ったのが一番初めでございます。まあ当時ですから年間2,000tとか、3,000tとかそういう単位でございましたけれども、それが一番初めでございました。それから2年後、お醤油でもう少し大きなものになり、清涼飲料に使われたのは、昭和57年に初めて飲料容器として日本で発売されたというのが、今までの大体の歴史であります。

特に当時は少ないですから、資源化問題というのはありませんで、実際にプラスチックというのはついほんとに、頭の中では5〜6年前までは少なくとも燃やされるごみか埋め立てられるごみか、ということでほとんど処分されておりました。産業廃棄物は別ですけれども、一般廃棄物はほとんどその2分類の中に入っていたというのが現状でございます。

しかしながら、ペットボトルというのはプラスチックのなかでも特に資源化がしやすい樹脂であること、また、混じりっ気がないということと、複合した材質が入っていないということで、このリサイクルについては、研究が進められておりました。

当然私どもも10数年前からペットリサイクル業というのがありまして、一つこれは頭の中でフラスコだけ振っているのではダメだというので、あの当時ですね、20億ぐらいのお金を業界から出してもらいまして、栃木県の工場ですが、そこで、実際に運転をしてみようということになりました。

しかしながら当時、先ほど申しましたように埋め立てられるか燃やされているものですから、なかなかものが集まらないんです。やっとお願いをして、一番最初にやっていただいた所は、神奈川県の秦野市と伊勢原市で、うちの市で集めてみようということで集めていただきました。家庭から出されたものとしては非常にきれいなもので、今でいう店頭回収に似たような、非常にきれいな物でした。

しかし実際にですね、そういうことではすまないので、我々はいろいろな自治体にお願いに行きまして、この4年間に142の自治体にお願いに行きまして、ご協力を得て品物をいただいています。だんだん品質レベルが悪くなってきました。いろんなものと一緒に集めるから、結局汚れてしまうんですね。それではやはり機械もそれなりの機械を考えないといかんということで、実はアメリカに私と技術家さんを含めた19名で行ってきました。アメリカの売っている方法も違いますし、日本のように生ごみが多い所ではありませんので、ごみの質も違います。したがって、機械そのものを輸入してもできるものではないということで、まあいいとこ取りで、この機械はアメリカのもの、この機械はイタリアのものとあるんですけれども、そういう機械をとりあえず栃木に作ってやってみることにしました。

やってみますといろいろな問題が出てきまして、今、4年経ってみますと、大変に良いノウハウになったというふうに思っております。特に関西地区では、二重県の柘植というところに第2の工場を造っておりますけれども、この工場は私も先週イタリア、ドイツ、フランスとずっと回ってきたのですが、世界一の工場だと思います。これは工場がいいということではなくて、やはり、そういう今までの失敗の積み重ねが、成功といったらおかしいんですけれども、今の機械をもたらしたのかなあという具合に考えております。

そんな事で現状困ったことはたくさんございますけれども、これはまた各論の方でお話させてい

 

 

 

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