ゴミ減らし通信舎
中平陽子
ゴミ減らし通信舎の生い立ち
1. 設立当初
はっきりといつからとは定かでない。
今から8年前には、中村恵子さんのパッチワーク教室 リ・リクエート・ワークスのメンバーで集団資源回収が始まる。(この頃は廃品回収という言葉がすぐ口について出て困った。)
2. 荒ゴミステーションへの出没
この時期(今から6年前)、私出身も近所に引っ越してすぐ、中村恵子さんの意見に同調、荒ゴミステーションに、紙類・缶・瓶の収集に同行する。缶は踏みつけかさを小さくし、瓶は洗ってラベルをはがし近所の酒屋に持っていった。紙類・アルミ缶は資源回収に、スチール缶は地元の小学校の回収拠点に運んだ。収集に行った後、すぐに風呂に入るほど臭いが気になった。
3. 自治会への参加
中村恵子さんが地元の自治会長になったことから、以前から思惑があった自治会での資源回収参加を呼びかけた。以前にも参加を呼びかけたが、賛同は得られなかった。この度はスチール行の回収は地元の小学校を回収拠点に選ぶことで決着。紙類・アルミ缶・瓶は中村恵子さんの自宅前まで運んだ。この年、スプレー缶に穴を開ける道具を全自治会員に配布。この頃スーパーで使われるトレーの回収を始め、回収を始めた数少ない拠点まで運んだ。食用の廃油を集め石けんを作り、会員や近所の方に販売。
4. 地域ネットワークを作る
1993年会の名を「ゴミ減らし通信舎」とした。
94年ペットボトルの回収を始めた。中を洗いラベルをはがして乾燥した後、偏平にし段ボールに詰めメーカーに返送した。ペットボトルの関係企業にアンケートを行い回答をもらう。
「ゴミを減らしてみませんか通信」発行。
この時期有野台の他のグループの参加が多くなった。
今では、トレー・缶・ペットボトルの回収は当たり前という時勢になりつつある。