ポイントレイズ鳥類研究所によって詳細に記録され、エーペックス・ヒューストン号油流出事故の際には、死体の全数の内どれだけが海岸に残ったかという死体残存率が測定されています。ポイントレイズ鳥類研究所とカリフォルニア大学サンタクルーズ校は、油汚染の恐れのある個体群を調べるために統一された海上調査を実施しました。政府が起こした訴訟においてデータの必要性が認識され、ポイントレイズ鳥類研究所とエコロジカルコンサルティング社(Ecological Consulting,Inc.)は、これらの油流出事故によって致死被害を受けた個体の総数を算出するために、流出事故の際に収集された全てのデータを基に、より正確な被害規模推定モデルを共同開発しました。
1986年エーペックス・ヒューストン号油流出事故は中程度の流出量(約98kl)でしたが、このような流出でも徹底した調査によってかなり多くの死亡数が推定され、長期に及ぶ個体数の減少も明らかになりました(Pageほか1990,Takekawaほか1990, Burger & Fry 1993,Carterほか印刷中,Manuwalほか未発表)。油汚染による致死被害は、1982年から1986年までのカリフォルニア中部のウミガラスの個体数減少の原因の1つでしたし、他の原因とともに1990年から現在まで個体数の回復も妨げています(図2参照)。しかし、個体数の減少は主な油流出事故が発生する以前から既に進行していました。それは大規模な刺し網漁と1982年から83年の深刻なエルニーニョ現象を原因とする繁殖率の低下によるものでした。デビルズ・スライド・ロック(Devil,s Slide Rock)の個体群は、刺し網漁による個体数の著しい減少の後、さらにエーペックス・ヒューストン号油流出事故に見舞われて絶滅してしまったようです。多くの油流出事故では、致死被害の総数を正しく推定し個体数への影響を明らかにすることは困難でした。これは被害の評価方法、影響を受けた鳥種や個体群、ベースラインデータの有無などの制約によるものです(Piattほか1991)。
1970年代と80年代の多くの小規模な流出事故では、カモ類がよく被害を受けましたが、こうした小規模な事故に関する記録を詳細に残したのは、リハビリテーション活動を行っていたIBRRCだけです(J.Hottomb私信)。
1983年から1991年の間には、ワシントン州やオレゴン州でも幾つかの油流出事故が発生しています(例Bayer 1988,Speich & Thompson 1987,Speichほか1991)(図1参照)。この地域では、1970年代に主にフアンデフカ海峡でタンカーの交通量が増加しましたが、流出事故が記録に残されることはほとんどありませんでした。カナダのブリティッシュコロンビア州とアメリカのオレゴン州の間のオリンピック半島沖で発生した1988年ネストゥッカ(Nestucca)号油流出事故および1991年天洋丸油流出事故では非常に多くの海鳥が死亡しています。この2つの事故では、それぞれ5万6千羽と2万〜10万羽の海鳥が死亡したと推定され、そこには多くのウミガラスとマダラウミスズメ(Brachyramphus marmoratus)が含まれています(Burger 1990,Fordほか1991,Carter & Kuletz 1995,Warheit 1996)。米国魚類野生生物局、エコロジカル・コンサルティング社、海洋大気庁(National 0ccanic and Atmosphette Administration、以下NOAA)、ワシントン魚類野生生物局や他の州機関は海鳥の致死被害を記録する努力の先頭に立ちました。これらの流出事故は米国西海岸で史上最大の海鳥の致死被害をもたらす結果になり、もともと少なかったウミガラスやマダラウミスズメの更なる個体数の減少は、恐らく長期間に渡る影響として残るでしょう。