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残っています。

 

20世紀の初頭にはワシントン州やオレゴン州でも油流出事故が起っています。オリンピック半島沖で起きた1956年シーゲート(Seagate)号油流出事故(貨物船の座礁)では、ワシントン大学が鳥類海岸線調査を行って海鳥の致死被害(主にビードロキンクロとウミガラス)を詳細に記録に残しました(Richardson 1956)。

20世紀初頭の海鳥を保護する活動は主に次の3つでした。

1)米国西海岸で米国魚類野生生物局が管理している国立野生生物保護区(図3参照)の中の多くの海鳥の個体群を守る。

2)アメリカ合衆国、カナダ、メキシコが加盟した1917年の渡り鳥保護条約。これは鳥を殺したり巣を壊す行為を非合法化するものでした。

3)カリフォルニアで石油を対象とした州の税金を用いて、海岸線や原生林といった海鳥の営巣地域をカバーするような土地を州立公園用地として購入する(Engbeck & Hyde 1980)。

 

1969年サンタバーバラ(Santa Barbara)沖油流出事故と1971年サンフランシスコ(San Francisco)沖油流出事故

 

1967年にヨーロッパで起こったトリー・キャニオン(Torrey Canyon)号油流出事故は、油汚染が海鳥と沿岸海洋生態系に与える影響に対する人々の関心を世界中で高めました。この事故以降は米国西海岸でも油流出事故が以前よりも詳細に記録されています(Bourneほか1967)。

 

1969年サンタバーバラ沖油流出事故は、沖合いの油井が噴出し油が数カ月に渡って漏れ続けた米国西海岸での史上最大の流出事故です。この事故は、カリフォルニア南部の海鳥に著しい影響を与えました(事故発生場所については図1を参照)。カリフォルニア州魚類鳥獣保護局(California Department of Fish and Game)とボランティアが鳥類海岸線調査、航空機からの調査、リハビリテーション活動などを行って、海鳥への影響に関する詳細な記録を残しました (California Department of Fish and Game 1969 a,b;Drinkwaterほか1971;Straughan 1971:Nashほか1972;Steinhart & Steinhart 1972)。

多くのアビ類、カイツブリ類(特にクビナガカイソブリ類 Aechmophorus Spp.、ウ類、カッショクペリカンPelecanus occidentalisなど)を含めた約3,700羽が死亡したと当時は推定されました。このように致死被害の推定値が低いのは、恐らく海鳥の致死被害の評価が不十分だったからでしょう。とりわけ流出事故の最中に行われたサンタバーバラ諸島北部での海鳥への影響調査の記録は不十分なもので、個体数の変化を見るために必要な平常時の状態を示すベースラインデータもほとんどありませんでした。カリフォルニア南部では20世紀初頭から海岸部で小規模な油井が操業していましたが、1960年代になって大規模な沖合いの油井開発が行われています。この事故はその直後に発生したものでした。

 

1971年のサンフランシスコ沖油流出事故は、サンフランシスコ沖で2隻のタンカーが衝突した事故でしたが、推定千羽から2万羽の鳥が死亡しました。これにはクビナガカイソブリ

 

 

 

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