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ローベルト・シュトルツ・バイオグラフィー

 

1880

8月23日、オーストリアのクラーツでヤコブ&イタ・シュトルツ夫妻の12番目の子として生まれる。父は指揮者て音楽の先生、母もピアノを教えていた。

1896

ウイーン国立音楽学校に入る。師はローベルト・フックスとエンゲルベルト・フンパーディンク。

1897

クラーツ市立劇場のコルペティトールになる。

1898

マルブルク市立劇場の指揮者となる。

1899

ワルツ王ヨハン・シュトラウスと会う。

1902

ザルツブルク市立劇場の指揮者となる。

1903

オペレッタ『麗しのロルヒェン』を作曲。ザルツブルク市立劇場で初演。フリュントのドイツ劇場の指揮者。ロシアヘオペレッタ公演、指揮者として行く。

1904

オペラ歌手グレート・ホルムと最初の結婚、シャンソン「Servus Du!」大ヒット。

1905

テアター・アン・デア・ウィーン、首席指揮者、フランツ・レハールの『メリー・ウィドウ』初演の指揮(547回指揮する)のちテアター・アン・デア・ウィーンでのレハール、オスカー・シュトラウス、カ一ルマン、オペレッタの初演は全て指揮に立ち会う。

1910

ライムント劇場でオペレッタ『幸福な娘』をアレキサンター・ジラルディで初演。

1913

トーキ-で初の映画音楽『Millionen Onkel』をジラルディ主演て作曲。

1915

ハンス・モーサー主演のジングシュピール『DieVarietediva』

1916

ベルリン・コーミリシエ・オーバーでオペレッタ『ファヴォリット』初演。その中の「あなたは私の心の王様」が大ヒット。ウィーナー・リ一ト「プラーターに再び花が咲き」「ウィーンの春」シャンソンツィクルス「モザイク」(30曲の新しいカバレット・リーダー)、そして「ウィーンは夜が一番美しい」いずれも大ヒット。

1917

ウィーン・カール劇場てオペレッタ「Eine einzige Nachr」か初演される。

1919

フオックス・トロットの「サロメ」、パリ、「カジノ・ド・パリ」のジャン・ギャパン主演の音楽を担当。その中の「ハロー!ベルの精」(ワン・ステップ)か「サロメ」と共に∃一ロッパ中で大ヒット。「ヴィーナ・ポエ-ム」出版社を仲間と設立。1920

シュトルツのたった一つのオペラ『マドンナのオペラ』をウィーンてエリック・シュメデスと共作。

1921

ライムント劇場てオペレッタ「Der Tanz Gluck」を初演。アメリカては「Sky High」、英国ては「Whirled into Happiness」。イタリアでは「Dance la Fortuna」フランスて丘「Danse vers le bonheur」の名で大ヒット。世界的にシュトルツの名声か広まる。

1922

ベルリン、ベルリーナ劇場でオペレッタ『Madi』をハンス・アルパースと共作初演。1924

ウィーン・アンノカッセに「ローベルト・シュトルツ劇場」がオープン。但し、数ヵ月後にクローズ。

1925

ベルリンのカヴァレット「コミカ」て「雪のメルヒェン」を初演。

1926

ブルク劇場てオペレッタ「Mitternnachts walzer」を初演。

1927

オペレッタ『Eine einzige Nacht』の改訂版とカ一ル劇場てオペレッタ『Flammend rote Rosen』初演。リート集「Pierrot Pierrot」

1928

芸術歌曲集『20の花の歌』カール劇場のオペレッタ『テイ・テイ・パ皇女』初演。

1930

映画音楽か次々と大ヒット。ウィリィ・フオルスト・パウル・ヘルビガー主演「二人の心はワルツを奏で」ウファー映画、ウィリィ・フリッチ、リリアン・ハーヴェイ主演「Hokuspokus」。同じくウィリィ・フリッチ主演『Das Lied ist aus』、その中の「Adieumein kleiner Garde Offizier」か大ヒット。ベルリン・クローセス・シャウシュピールハウスてラルフ・ヘナツキーの『白馬亭にて』に「世界は空色」と「愛の歌はワルツでないと」を作曲。これ又、ヒット。フランス版の『白馬亭にて』にはさらに「Auch du wirst mich einmal betrugen」と「Aieu, mein kleiner Gardeoffzier」も入っている。

1931

オペレッタ映画『恋愛特攻隊』リヒャルト・タウバーの歌う「夢でならみんな許せる」か大ヒット。オランダのハーグてジンクシュピール『小さなすみれの咲く頃』、チューリッヒではオペレッタ『絹を着たヴィーナス』初演。

1933

「アヴェ・マリア」を作曲。ヤン・キープラ・フィルム「いつも心は君に」。そのなかの同名主題歌がヒット。

1934

フランツィスカ・ガール、ハンス・モーザー、パウル・ヘルビガ一主演。ゲザ・フォン・ポルヴァリ監督『春のパレード』の音楽がヴェニス・ビエンナーレで金賞を獲得。「二人の心はワルツを奏で」が「失われたワルツ」と題しチューリッヒ・オペラ劇場て上演。

1935

オペレッタ『空色の夢』がベルリンのフォルクス劇場て初演。同名の主題歌がヒット。ハインツ・リューマン、テオ・リンク主演『地上の天国』、ヤン・キ-プラ・フィルム『女はみんな大好き』のなかの「ブロンドでも茶色でも女はみんな大好き」がヒット。映画「ジプシー サラン」、映画『秋の演習』その中のレオ・スレツァクの歌う「荒野に咲く最後の薔薇」か大ヒット。シュトルツ自身、最も好きな歌として亡くなる時に、“これて弔ってくれ”との由。

1937

ヤン・キ一プラとマルタ・エガ一卜主演「zauber der Boheme」そのなかの「Ich liebe dich」か盛んに歌われる。

1938

ナチに追われ、オーストリアから亡命、スイス経由てパリヘ行く。パリのモドガル劇場てオペレッタ「バラライカ」を作曲。シュトルツ、イウォンヌ・ルイス・ウルリッヒ、今日のアインツィさんと知りあう。

1940

アメリカヘ亡命。

1941

ディアナ・ダービン主演の『春のバレード Spring

 

 

 

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