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ョンがずいぶん違っていたでしょうね。

僕は4年前に、『R.シュトルツの青春』でシュトルツの半生を措いて、彼の音楽を広めたいという思いがあって、アインツイ夫人に逢ったんです。その時に彼女が言ったことは、シュトルツの豊かな創造力の混はみちあふれる心情、喜び、恋、愛、それと同時に正反対の幻滅と哀しみなんだ、と。そして彼にとっての最大のインスピレーションは、美しい婦人への愛だ、と。何せ五回も結婚しているんですから…。恋し、愛しては裏切られ、すべての財産をもっていかれて、残ったのはいつも五線紙と鉛筆だけだった。東京新聞文化部の菊島大さんがすごくいいことを言ったんです。彼がもし、ただ女性に愛されていたならば、あの音楽は生まれなかった。愛して愛して、愛したからこそ、そして裏切られ裏切られたからこそ、生まれたんじゃないか、と。確かにそうなんです。裏切られても愛し続けた。だから音楽の奥底には怒りとか哀しみが沈んでいる。彼の反戦の歌「歌は消え去った」なんて切ないですからねえ。

うちが『春のパレード』を初演した時には、ほぼ原作に近くやってみたんです。でも二幕の最初のところが、エルンスト・マリシュカのこしらえ方がどうしても古めかしい。出ては消え、出ては消え、という形がどうしてもドラマにならないんですよ。それから、J.シュトラウスやレハールのオペレッタでは、いわゆるフィナーレ?T、?U、?Vは一種のオペラのようなこしらえ方をしているんだけれど、シュトルツにはそういう形のものはないんです。だから今回の再演では、そのフィナーレのドラマ性をどういうふうにもっていくか。やっぱり33年の頃はいくらナチズムが黒い翼で覆う直前といっても、のんびりしたものがあるわけで、そうすると今の時代には今一つ、ドラマ性が弱いような感じがする。それをもっとせりふと音楽でたたみ込むように積み重ねをしていって、又1964年のフォルクスオーパーの初演より、音楽を選んで滅らしてますから一僕が入れたものもありますけれど-それでぐんぐん盛り上げていく形にすれば、もっとドラマティックになるという気がしたんです。

上垣 音楽面でも、前のは、歌を歌として重要視して表現していたと思うんですが、そういうテンポではなく、ドラマの中に入っていくテンポをつくっていかなくちゃいけないと思っているんです。どんどん展開していく中に音楽が入ってくるような、全体が一つのものとして流れていくような創り方をしたいですね。そうしないとただ歌がならんでいるだけの歌謡ショーみたいになっちゃう。それは意図するところじゃないですから。

寺崎 僕としては、今回あなたがそういう考え方で音楽を進めてくれるっていうのは、とても嬉しいんです。

21世紀の音楽劇

寺崎 僕は日本では21世紀はオペレッタの時代と思っているんです。日本はヨーロッパに比べて100年遅れていますから。でもそのヨーロッパのオペレッタがウィーンですら駄目になってきている。非常に悲しい状況です。今のフォルクスオーパーはまさにシュターツオーパーのアンダースタディング、下になっちゃったんです。風前の灯ですよ。でも僕は、オペレッタは不滅だと思っている。美しい音楽でほんとうの人間が深く描かれたものだから。

上垣 今、ミュージカルは形としてはチケットはずいぶん売れていますよね。それは若い人が、例えばお台場やディズニーランドヘ遊びに行くのと同じ感覚で見に行かれるからだと思うんです。ところがオペラ、オペレッタとなると一段敷居が高い。それがもっとラフな感覚で見られる、そして又、もっとラフな感覚で提供出来るという状況が出来てくれば、そういう人たちが育ってある程度の年齢になった時には、社会全体の見る目が変ってくると思うんです。最初の話になってしまうけれど、アカデミックということをまず解決しなければいけない。アカデミックかどうかということは、最初からこれはアカデミックです、ともってくるんじゃなくて、見た人の受け止め方でいいと思うんです。そしてやるほうは、水準の高い大衆娯楽であるべきだと思う。

寺崎 とにかく日本のクラシックの人たちも、ほんものであって、しかもお客を楽しませることの出来るエンターテイナーになってはしい。そしてやるほうが楽しんでやってほしいですね。そうしたら観るほうも楽しいし、どんどん拡がり、オペレッタも生活の必需品、心のオアシスになっていきますよ。

上垣 今、若い音楽家はそういう方向に考えつつありますね。ただ僕が言いたいのは、根本的に解決していかないと、つまり小学校、中学校の教育から改革していかないと、音楽業界は最終的なところへはいかないということなんです。

寺崎 そして根本問題は、国や都道府県の行政が「文化は心の福祉、精神の糧」だという自明の理を認識し、舞台芸術にもっとお金を出し、料金を安くして、誰にでも見られる値段にする。それと同時に、創るはうには、歌役者が、学校の先生をしながらやるのではなく、プロがプロとして専念出来るような経済面での芸術創造の基盤整備をしないとねえ。何せ、オペラやオペレッタは“金食い虫”で哀しいかな助成がなければ成り立たないんですから。「21世紀はオペレッタの時代に!」にするには、財源確保の厚い壁が立ちはだかっている。20年間、変らないのは“金”との戦いです。それに負けたらおしまいですから、戦うしかないんです。どうもありがとうございました。

 

 

 

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