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Parade』の音楽でオスカー候補。『ウィーンの夜』と題してアメリカ各地て演奏旅行、各都市のオーケストラを指揮。ニューヨーク・シューベルト劇場てミュージカル「One night of Love」を初演。

1942

『ウィーンの夜』の北米南米公演の指揮、シュトルツはブロードウェイで『こうもり』『メリー・ウィドウ』『乞食学生』『ジプシー男爵』を演奏、指揮しウインナ・オペレッタをアメリカに普及させる。

1944

ルネ・クレール監督、ディック・パウエル、リンダ・ターネル主演の『It happend Tomorrow』て二度目のオスカー。その中の『Someday when Tomorrow Comes aloag』がヒット。

1945

ミュージカル「シュトラウス氏ボストンヘ行く」かニューヨークのブロードウェイ、センチュリー劇場て初演。フェリックス・ブレンターノ主演。振付けはジョージ・バランシン。ローベルト・シュトルツはまさに”ウィーン音楽の大使”としてアメリカて縦横に活躍。作曲家として指揮者として勝利を得た。

1946

アインツイさんと結婚。ウィーンヘ帰国。アポロ劇場てミュージカル『schiksal mir Musik』を初演。

1947

ウィーン市は“名誉市民”の称号、国立劇場連盟総裁は“プロフェッサー”を授与。ウィーン市立劇場でネストロイの『Lumpazivagabundus』からジンクシュピール『ドナウから来た3人」を初演。映画『ザルツカンマーグートのランデヴー』の音楽を作曲。生まれ故郷グラーツにロ一ベルト・シュトルツ・シュトラーセが誕生。

1949

ウィーン市立劇場てハインツ・コンラッヅ、ベーター・アレキサンダー主演、フルパート・マリシュカ演出てオペレッタ『プラーターの春』を初演。

1950

これ以降アメリカでやった『ウィーンの夜』を今度はヨーロッパの主要都市を廻って演奏、指揮した。

1951

ブルク劇場て音楽喜劇『Glusrezept』をマリア・アイス主演て初演。オペレッタ『Der Tanzins GIuck』か映画化される。ロンドンのストル劇場でミュージカル『Rainbow Square』初演。

1952

これ以降、世界的に有名な「ウィーン・アイス・レヴュー」の音楽監督となる。5月ウィーンのフエストヴォッヒエンでラートハウスのアルカデンホーフてパウル・ヘルビガー主演の「愛しのアウグティンのバラード』を初演。

1954

ニュルンペルクのオペラハウスでのミュージカル『シニョリーナ』を作曲。

1955

ロミ-・シュナイダー、ハンス・モーサー主演エルンスト・マリシュカ監督の映画『Die Deutschmeister』と題して「春のパレード」3度目の映画化の音楽。

1956

ヨーゼフシュクット劇場てミュージカル『KleinerSchwindel in Paris』を初演。1960

ロンドン、クィーンズ劇場てラティガンの『French without Tears』原作のミュージカル『Joie de Vivre』を初演。

1961

これ以降、ヨーロッパの主要ソリスト、オーケストラを使ってウィーン音楽とオペレッタのレコード指揮の仕事に携わる。

1962

フレンゲンツの湖上オペレッタで『シニョリーナ』を改訂してミュージカル『Trauminsel』を初演。∃-ゼフシュタット劇場て音楽喜劇『Einsh shone Herbst』を初演。西独から金の名誉十字賞、ウィーン・シンフォニー・オーケストラからブルックナー・リング賞。

1964 

フォルクスオーバーてオペレッタ『春のパレード』の初演。台本、エルンスト・マリシュカとフーゴー・ヴィーナー、演出オットー・フリッツ、ミニッヒ、グッジ・レヴィンカー、エ-リッヒ・クハール主演、11年間ロングラン、フオルクスの名誉団員に推される。

1965

これ以降、ウィーン国立劇場の『こうもり』の指揮。クラーツから勲章を授与。1966 長年の作曲指揮にたいし、アムステルダムで「クラン・ガラ・ドウ・ディスク・ポピュレール」大賞受賞。映画、クルト・ユルゲンス主演『Der Kongressamusiert sich』の音楽を作曲。

1967 

「美しき青きドナウ」百年祭の『こうもり』のガラコンサートを国立歌劇場で指揮。チトー大統領からユーゴの「ゴールデン・フラッグ」賞を授与。

1968 

シュタイヤーマルク州の“栄誉リング”を授与。

1969

フレンゲンツの湖上音楽祭て『空色の夢』を改訂オペレッタ『ホーデン湖ての結婚』を初演。アリオラ・オイロズィスク2万枚突破記念ゴールデン大賞。オランダ・フラリテンフィルマ、2万5千枚突破記念ゴールデン大賞。オランダ・ユリアナ女王より最高勲章を授与。ベルギーのパウドウイン王から最高勲章を授与。ドイツ映画興業会より“金貨”受賞。以降73年迄、数多の賞をヨーロッパ、アメリカから受賞。

1974 

20枚LPの「ウィーン音楽の黄金時代」、12枚LP「ロ-ベルト・シュトルツ指揮によるヨハン・シュトラウス」という素晴らしい業績を残したことに対しクランプリを受賞。

1975

『二人の心はワルツを奏で』をローベルト・ヘルツェル演出。パンテリス・デジラス美術て改訂し大ヒットとなる。6月27日、ベルリンてレコード録音の指揮中に倒れ死去。95才。7月4日、ウィーン国立歌劇場て国家葬。以降もローベルト・シュトルツの名を冠した通り、公園、森、湾、船やモニュメントがヨーロッパやアメリカ等彼と緑の探かった地に続々と建てられた。如何にシュトルツ音楽か多くの人から愛され親しまれているかの証してある。

 

 

 

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