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インから学んだ考え方のオペラやオペレッタは出来ないんです。

上垣 歌い手さんたちが、あれだけ芝居に関して積極的に取り組んでいく姿勢は、あまり他では見られないですよ。そこが一番大きい魅力ですね。今のオペラ界の中にあって、そうした形でリードしていくというのは大変な苦労があると思います。でも、これだけ情報が発達して、又、刺激が増えてくると、既成で歌だけ聞いていればいいというのは飽きられちゃうと思うんです。だからこの形でずっとやっていければ、すごく大きな一つの流れになっていくでしょうね。

寺崎 まさにその通り。その大きな流れにするために19年間やったわけです。自分の考えを伝えていくためには、自分でつくった日本オペレッタ協会という場でそれを貰いていかなければ‥‥‥芸術は独裁でなかったら駄目だと思うんです。

上垣 それから、日本の教育の中でオペラとかオペレッタというものが、非常にアカデミックなものに変ってしまった。クラシック音楽が、普段の生活にないもの、学術的なものになってしまった。小さい頃からそういう壁をつくってしまうような教育の仕方が大きな間違いだと思うんです。そしてそれがずっと発展していくと、いわゆるマニアになって、原語でしか聞かないという、更にアカデミックなものになってしまう。例えばコーミッシェオーバーでは、イタリアのオペラでもフランスのオペラでも全部ドイツ語にして、お客さんに何が展開されているのかはっきり分かる状篇で提示する。お客さんは格式ばって見に来るんじゃなくて、もっと気楽に入つて、気楽にドラマを楽しんでいる。ベルリンでは、シュターツオーパーヘ行けば全部原語でやっているけれど、しかし隣りのコーミッシェオーパーヘ行けば分かりやすくやっている。ああいう関係ならばそれでいいと思うんですが、日本のようにオペラハウスがない状況の中で、原語で分かる人にしか分からないようなやり方というのには、旋間をもっています。原語でやるというのは、きれいかもしれないけれど表面的なことであって、歌の内容まで踏み込まないでそのままコピーしてやっても意味がない。日本の生活文化に合わせた演出が必要だと思う。日本で日本人が演じて日本のお客さんに聞かせるわけですから、やっぱり媒体は日本語でないと‥‥‥。

寺崎 そうです。まず根本は日本語ですよ。そして向こうのイミテーションではなく、向こうの伝統を踏まえた上で、日本人が演じて少しもおかしくないようなこしらえ方をしたい。

上垣 僕の場合も幸い、ベルリンの壁の崩壊の直前でしたから今とは全然違っていて、苦からの伝統が残ったまま封鎖されているような時代でしたから……ラッキーでした。

寺崎 東ドイツの中にはプロイセンの伝統があったからね。

上垣 でも、そこで勉強したことをそのまま日本に持ち帰ってコピーするんじゃ意味がないわけで、一度自分のフィルターを通していいところを取り入れて表現していく。

寺崎 そうですね。例えば『春のパレード』が生まれた1933年というのは、まさにナチズムが黒い巽を広げようとしている時ですから、不況、失業といったいろんな問題があった。一番暗い時期ですよ。そういう時代だからこそ民衆は娯楽に走るんです。そこで圧倒的な人気を得た。ナチはシュトルツを利用しようとするんですけれども、彼はいつ殺されるか分からない状況の中で、そういうナチの攻略に対して、まさに体を張ってすさまじいレジスタンスをする。ところが彼の音楽は非常にマイルドな形で表れていますよね。『春のパレード』は、マリカという娘が愛を信じて、純粋なぶつかり方で難局を打開していく。そういった背景の中で、シュトルツの音楽のもっているヒューマニスティツクな愛という西洋の素材をしっかり受け止めて、きれいに洗い直して、写さ岩の日本の社会、「心の不在」の時代と重ね合わせ、その上で日本人の味付けで創りたいんです。

シュトルツ音楽の魔力

寺崎 ところで、『春のパレード』の音楽的魅力とはどういったところでしょうか。

上垣 今、先生がおっしゃったように、ドラマティックでないところが表現者としては非常に難しいですね。逆に、もっと音楽だけで聞いている人を泣かせてしまうような謡だったら楽なんでしょうが。ボンと落ちた瞬間はそのままになっていて、あとになってじわじわ広がってくるような、そういう魅力ですね。そのじわじわっと広がるところを、どう表現していくかということ、自分では分かっているんだけれど、柏手にどう伝えるかが難しいハ

 

 

 

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