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音楽自体が生まれてきた背景一誕生にはドラマがあるわけですから。しかもオペラやオペレッタには舞台がついているんですから、もっと分かりやすい状況にあると思うんですが。

寺崎 なるほどね。それは日本のミュージカルにもあるんじやないですか。音楽とドラマと踊りというものがそれぞれ別になっちゃって、音楽になると演出家は音楽家のはうにまかせちゃうし、芝居になると音楽家は演出家のはうにまかせちやう。踊りのはうは振付けに、という一つの段取りみたいな形に分化した稽古というのがあるんじゃないですかねえ。

上垣 僕はそういうのはすごく嫌なんです。演出家がいて、あるドラマをこう創りたいという提供があって、そこからインスピレーションして自分が思っていたテンポをどう処理していくか一今までの演出家と指揮者の形簾というのは、それをぶつからせないで終っちゃうというのが多いと思うんです。双方が全然くっついていかない状態のまま公演が出来上ってしまう。そうすると見ているほうには一つ、これでいいのかな、というものが残るんです。だから演出家が思っているドラマの流れと指揮者が思っている音楽自体の流れを、もっと組み合わせて、音楽をもっとドラマ的に考えて一つのものにしたい、というのが僕の目標でもあるんです。それはミュージカルに限らずオペレッタに限らず、どんな場合でもやらなきゃいけないと思っているんですけれど・・…・。

寺崎 本来、ミュージカル、オペラ、オペレッタは、ヨーロッパでは音楽劇ニムジークテアターであって、音楽のジャンルに属しているわけです。日本のミュージカルの不幸は、演劇畑から出ていて、音楽劇というジャンル、オペラとかオペレッタの世界から生まれ出なかったということなんです。どうしても音楽的な問題が出てきちゃう。やっぱりベルカントで歌えれば、ミュージカルはもっと音楽的に素晴らしいものになる。オーケストラにしても、オペラが出来るようなオーケストラがミュージカルをやれば、ほんとうに大人の娯楽になったはずなんです。オペラ、オペレッタの人たちはその中に演劇が、ドラマがあるということを分からなかったし、演劇の人はそういうオペラを見て、あれはウソっぼいと、自分たちはもっとリアリスティツクなものを創るんだ、そう思ってやったと思う。そして1950年代の終りに『ウェストサイド・ストーリー』が来て、あれだけのものが音楽で表現出来るというものを見せた。そういうカルチャー・ショックがやがて演劇界の中で、歌って踊って芝居が出来て、という謳い文句でミュージカルが出てくる。そこが不幸だったと思うんです。そして、今のブロードウェイやウェストエンドの状況はといえば、ミュージカルは完全に暗礁に乗り上げていると思う。それは、美しいメロディを作る作曲家が出てこなくなっちゃったから。見た人がメロディ覚えて帰れるようなものがなくなっちゃった。

上垣 そう言われてみれば確かにそうかもしれないですね。ただ、ドラマということでいえば、演劇の人たちのミュージカルにあとで音楽的な要素を入れるほうが、今の既成でやられているオペラにドラマの要素を入れていくよりまだ簡単なような気がするんです。勿論、演出家がそういうこと全部分かっていての話ですけれど・…・・。

寺崎 確かにそうかもしれない。しかし、役者がベルカントの発声法をきちっと学ぶということは殆ど不可能に近いですよね。とすればやっぱり、これは大変なことで長い時間がかかるけど、ベルカントの歌い手がはんとうに芝居心をもって取り組み、役の性根からくる音符の解釈をして自分がその役に生きるという形になれば、音楽で人間のほんとうの姿を描ける、オペラ、オペレッタ、ミュージカル、ジャンルを問わずにいける気がする。

フェルゼンシュタインは、音楽のもっているインパクトと演劇のもっているインパクトが一体となって、人の心を衝き動かすものにもっていかなくちゃいけない、という考え方でコーミッシェオーパーで独裁でやってきた。そしてムジークテアターという創造方法が、それ以降ベルリンの壁を越えてヨーロッパ中に広がっていった。実際フェルゼンシュタインほど音楽を大切にした人はいないんです。

僕は日本オペレッタ協会で、音楽の中のドラマというものを、オペレッタを通して創ろうと思ったんですよ。それにははんとうに芝居心をもって芝居が出来て、踊りも出来るというクラシックの歌役者が生まれない限り、フェルゼンシュタ

 

 

 

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