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創立20周年記念「21世紀はオペレッタの時代に」対談シリーズ・

オーソドックスなオペレッタを連続上演で!

 

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“育てる”ということ

寺崎 関根さんには今迄、ほんとうに長い間うちの舞台を見て頂いて、応援して下さっているわけですけれど……。

関根 私が寺崎さんの演出を初めて拝見したのは1976年の『椿姫』なんです。そのあとになさった講演会も聞かせて頂きまして、大変情熱的なお話しぶりで、日本人にもこういう方がいらっしゃるんだなあ、と驚いた記憶があります。演出論のロジックがしっかりしていることと、その熱っぼい語り口に圧倒されまして-。今、この時点で振り返ってみますと、オペレッタ協会の20年間の一番大きな成果は、やはりクラシックの歌役者を育てたことだと思います。ここで育った歌役者は方々で歌っていても、ひと味違うんですよね。ただ演技がうまいというだけでなく、歌そのものにどことなくリアリティがあるし、舞台人としての存在感、自信のようなものが感じられるのです。

寺崎 実は僕はオペラをやろうと思って、最初にやったのが先程の『椿姫』だったんですが、これがもう稽古よりもディスカスなんです。徹底的に反発された。僕はフェルゼンシュタインに師事して理想のコーミッシェオーパー、いうならば天国みたいな所にいたわけですよ。同じものを一年も稽古しているんですから。このやり方なら日本に根づかせることが出来ると思ってました。しかも僕は、その頃の日本のオペラ界の状況が全く分からないわけで、音楽のもっているインパクトと演劇=ドラマのもっているインパクトが一体となって人の心を衝き動かすオペラを創ろうと思った。

関根 オペラを歌う人たちは、お芝居が下手でもしょうがない、という認識がまだ大幅に出回っていた頃でしたね。

寺崎 そうそう。ですからオペラにおいて演出というのは、手取り足取りの演技指導、振付け師のような存在であって、音楽稽古には演出家なんか来なくたっていい、という考え方でしたね。

関根 今でもそういう段階が多いんじゃないかと思いますよ。理屈では分かっているんでしょうけれど、歌い手の育ち方そのものが、音楽大学でまず歌をやってから、オペラに向きそうな人がオペラをやる、そういう育ち方をしてますから。

寺崎 そうなんです。でもその段階になると24〜25才ですから、体が動かない。動かなくても歌えると言うけれど、動かずに表現することは動いて表現するよりもっと難しい。動けないから動かずに歌うということと、動けて、余分なものを一切削り取って動かず歌うということは大違いだ、ということが分からない。そういうディスカスです。それで僕はこういう状況でオペラをやろうとしてもとても無理だから、まずオペレッタをやり、歌役者をつくらなくちゃいけないと思った。まず僕の考え方に皆が同調してくれなかったら、議論ばかりになっちゃう。しかもそれを受け入れるオペラ団はない。とすると自分でつくるしかない、ということだったんです。それともう一つ、一番ショックだったのは歌い手が皆、ノルマをもっている。そういう状況を知ってこれは駄目だと思った。それでお客が歌い手たち出演者をバックアップする形のものをつくらなきゃいけない、つまり観客を育てて、鑑賞部門の人たちが切符を売ってくれる、そういう状況にならなくちゃ駄目だな、と思った。それでまず「オペレッタ友の会」をつくったわけです。そこで観客を育てると同時に歌役者を育てていこうと‥…・。

ヨーロッパでは昔は、シュヴァルツコップにしたって、リヒャルト・タウバーにしたって皆、オペレッタから入っていった。オペレッタで鍛えられるんです。オペレッタの場合には歌は当然、オペラ以上に音域が広くないと駄目ですし、それと芝居が出来なかったらどうしようもない。踊りも出来なくちゃいけない。つまり、お客を楽しませることの出来るエンターテイナーでなくちゃいけないわけです。

関根 歌役者を育てるためにはオペラよりオペレッタのほうがいいということ、それはとてもよく分かります。

寺崎 オペレッタで、徹底的に芝居と踊りが出来るクラシッ

 

 

 

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