・魚の棚の衰退
魚の棚で買い物をする人が減った。卸と小売りが一緒ではためという決まりができて、独特の仕組みがダメになった。安くておいしい、前ものの魚を気軽に食べられる店が少ない。もしくはどこにあるのか来街者にはわからない。
「明石まちづくり研究所」について
(松本誠「人と暮らしのネットワーク-明石のまちづくり運動-」「月間社会教育」4月号より抜粋)
「市民の、市民による市民のためのまちづくりシンクタンク」をめざして、明石まちづくり研究所(略称・まち研明石)が発足して8年。「研究所」を名乗ったのは、将来、まちづくり活動に取り組むさまざまなグループや団体をサポートしたり、行政のまちづくり計画や調査、提言のニーズに応えられるNPOをめざそうという壮大な決意から。
毎月2回の例会を軸にした活動の結果、明石のまちの状況や課題、人々の動きをほぼ掌握し、情報の交換、人と人の交流とネットワークの拡大、まちづくり課題の分析と提言、まちづくりイベントなど各グループの活動へのシンクタンク機能を果たしてきた。
「まち研明石」の発足と8年間の展開
1)会の発足と活動
1989年11周、西明石駅近くの酒屋のフリースペース「花園」に10人余の市民が集まり、まちづくり研究会がスタート。メンバーはそれぞれ一線で活動している市内在住の顔ぶれ。
明石のまちはいま、どんな問題を抱えて、どのようなまちづくりをめざさなければならないのか。毎月2回(第2、第4水曜日)の例会は、リサイクル運動や健康食品運動、漁業関係者、女性グループの活動家なども加わり、登録会員は20人をこえ、毎回出席者は15〜16人に定着した。
2)まちづくりの基調と活動の方針
結成6周年の総会でまち研明石は、次のような会の性格と活動の方針を再確認した。
地域の現状と課題をさまざまな観点から論議してきた中から生まれた、まちづくりを考える視点は次の5つに集約される。
?そのまちの性格とありようを明確にする。
?環境や循環型社会を基本に、総合的に考え総合的に実行する。
?地域自立、地域自治、共同をめざす。
?「参加」型から住民主導、行政支援のまちづくりをめざす。
?人材を育て、人材を育てる場を作る。
3)活動の具体的な展開
初年度明石のまち全体の把握に努めた。2年目は研究成果のまとめに努力し、市の開発計画に対する「緊急提言」を発表。3年目は各種イベントのネットワーク化を探った。4年目には情報紙の発行と新しい展開を模索し、5年目には文化・芸術を考える懇談会を開催。6年目には研究成果の市民への還元をめざしての「まちづくり実践講座」をスタート直前に阪神大震災が発生し中止。震災復興下での市議・市長選挙とまちづくり運動の展望をめぐって議論を重ねた。7年目は「まちづくり実践講座STEP 1」を開催。8年目も「STEP 2」に取り組み中。
3. 「まち研明石」的ネットワークの成果と課題
1)運動とシンクタンクの分離によって、地域や分野ごとに町衆明石やなりわい塾、明石海峡塾、CCZ研究会、安心して-91Xの会、明石原人の会、ごえん通信舎、情報公開を進める明石の会、明石大道芸研究所、明石海峡ノミの市、まちづくり会社マジック企画―などの具体的なまちづくり実践活動グループが新しく生まれ、既存のグループや団体との人的ネットワークが形成された。
2)まち研明石を媒介とした人的ネットワークがフルに活用され、一人ひとりの力量アップと活動の質が高まった。
3)人の交流と活動を通したゆるやかなネットワークは部外者には見えないため、エンパワーメントする過程で妨害やつぶし的行為を極力避けることができた。
4)まちづくりに不可欠な「行政とのパートナーシップ」づくりが、いまだ諸についていないため、市民のエネルギーが反映されていない。
5)大多数の既存組織の変革をどうするか。
6)行政職員が市民レベルの活動にもっと参加するとともに、市議会議員の変革が課題。