か。海辺がどういう状況にあるのかを多くの人たちが、それによって知りました。
海に近づくというのは、必ずしも自然だけではなくて、そこで暮らしている人たちにとっての一つの新しいビジョン、夢、風景に対する新しい認識、ある人にとっては思い出、記憶につながる新しいチャンネルをどうプレゼンテーションしていくか。一つの海に対する人々の思いを変えていく方法ではないでしょうか。
具体的な提案として、なぎさに近い湾岸道路の名称を「なぎさ海道ハイウェイ」と変えてみたらどうでしょうか。二つ目は、沿岸に各種の鉄道が通っていますが、それぞれのローカルな駅を見直し、なぎさに近づくために小さなエリアごとのなぎさに関する情報を出していったらどうでしょうか。
細田 大阪港の価値を認識することが重要なことです。大阪港は環境財といわれています。もし大阪湾が無ければ、この地域の気候は全く変わってしまいます。同時に大阪湾では水産業が盛んですから生活の糧を得る場所でもある。まず、海に行ってみて、海がどういう状況かを知ることが大切です。明日と明後日と、学生を連れて、淡路島の由良に行き、ゴミ掃除をします。一般の方々が一度経験してみるのも市民参加の一つだと思います。
「なぎさ海道」は、市民の憩いの場、開放感を感じて自由に動き回れる場、さらに生涯学習の場として十分活用していけるものにしていただきたい。そうした中で環境に対する意識が高揚してきて、大阪湾を生き返らせることができるのではないでしょうか。
川端 今日は、いくつか大切なポイントが出されました。一つ目は、市民が大阪湾の海辺を知らない。それを情報として表に出して活用し、共有することからスタートしなければいけない。二つ目に、ローカル・スタンダードという言葉を使われましたが、地域の人々が自らの地域、地区ごとの「なぎさ海道」のあり方を決めていくための仕組み、そのための住民参加、市民参加が重要である。今日のワークショップはその第一歩でしょう。
川端 直志/ケイ・プランナーズ代表
1950年生まれ。東京大学工学部都市工学科及び建築学科卒業。民間シンクタンクで都市計画・地域計画の調査・計画に従事した後、1977年地域研究所ケイ・プランナーズを設立。代表取締役として現在に至る。(1990年(株)ケイ・プランナーズに社名変更)早くから歴史的環境保存運動、調査・計画や景観整備計画に取り組み、ウォーターフロント開発では先鞭をつけた。
細田 龍介/大阪府立大学教授
1941年生まれ、1970年大阪大学工学研究科造船学専攻修了。大阪府立大学工学部船舶工学科助手を経て、1989年同教授に就任。(1993年海洋システム工学科に名称変更)1965年船舶の波浪中性能に関する研究。1988年乗り物酔いに関する研究。1992年閉鎖性海域の環境創造に関する研究。
橋本 敏子/生活環境文化研究所所長
1965年同志社大学文学部文学史科卒業。1976年(株)生活文化研究所設立。1991年(株)文化農場設立。現在2社の代表取締役と京都精華大学の非常勤講師。資源エネルギー庁・総合エネルギー問題調査会委員、自治省・自由時間活性化委員会委員なと、多数の行政関係委員を歴任。