川端 「なぎさ海道」をどうやって実現していくのか。特に、市民、地方自治体で具体的にどうやっていけばいいのか、問題提起に終わらず、具体的な提案も含めて出していただけたらと思います。
細田 私に与えられた課題は「なぎさ海道」に市民がどう関わっていったらいいのかということですが、その前に市民は大阪湾を見たとがあるのでしょうか。
昨年、大阪港の海岸線を3日間かけて調査しました。この調査で何が分かってきたか。海岸線の形態ですが、ほとんどが人工海岸で垂直岸壁です。大阪湾の北の方は行っても何もできない。淡路島や大阪府の泉南の方は海岸線にアクセスできます。ところが大阪湾のゴミは南の方に流れて行きます。そうすると、北の方のゴミのない所は人は行けないし、本当に行きたい所はゴミだらけで行きようがない状態です。南の方にゴミが溜まっており、中身はほとんどビニール、残念ながら一番多いのは家庭から出るビニール類と釣り客が捨てた釣り針のパッケイジです。淡路島の由良海岸は、掃除して3日たつと元どおりに戻るそうです。神戸のポートアイランドにはあまりゴミがありません。ゴミが出ないのではなく、ゴミは風と潮に乗って南に流れて行くのです。
こういう状況をはっきりと認識していただきたい。大阪湾は汚れています。産業排水はきれいになっているようですが、家庭からの排水がどんどんリッチになっていく。その結果大阪湾の奥は、酸素がない状態です。
このような問題の発生源は陸にあります。ゴミやヘドロとして垂れ流しにされたものが大阪湾の底に溜まっています。そういう問題をどう解決するか。その問題は「なぎさ海道」とは無関係ではありません。
橋本 私はちょっと角度を変えて、コミニュティ、文化、人との関わりが、「なぎさ海道」の中で何が可能なのかということを考えてみたい。
「なぎさ海道」はデビューしたばかりで、どういう形の関わり方が可能なのかを考えるために、私の体験している事例の中から話してみたい。アートと社会の橋渡しというNPOの活動をやっております。全く違う話題じゃないかと言われるかもしれませんが、いくつかの共通点があるのではないかと思っています。一つの共通点としては、海に対しても、アートに対しても、人々が知らない、非常に無関心であること。二つ目は、いずれも知っているけれども身近に無い。とりわけ、日常の場との接点が薄れている。三つ目として、無関心や身近にないものに近づくための大きなポイントとして、今まで考えていた枠組みを取り払って新しい発想で考え直してみようということです。
具体例としては「ドキュメント2000プロジェクト」という名称ですが、分かりにくいと言われている現代美術の面白さを通して、地域と社会を新しい見方で理解し合うための活動をサポートしようというものです。例えば、東京の中学校で夏休みに学校を開放して美術館にしました。この考え方は、「なぎさ海道」と市民の関わりを考える時にヒントになるのではないか。違う分野で行われている様々な方法、その中で人々が求めていることに共通点があるのではないか。
大阪湾を知らない、海を知らない、知らないということは体験していないことでもあるのですが、それをどういう形で伝えるかが、これから「なぎさ海道」を実現していく上での課題ではないか。もう一つは、人々にイメージの固定化があるのではないか。最近、文化的な活動だけではなく、環境問題を含めた社会的な活動に関わりたいと思っている人たちがたくさん出てきているとい