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理も国際社会の中で日本が獲得していった倫理であって、日本独自の倫理ではありません。閉じられた社会の中でつくられる倫理ということはほとんどないわけで、また新しいグローバライゼーションの中で新しい倫理をつくっていかなければならないわけです。そのために私たちは集まっていると言っていいと思います。それが一つです。

それからもう一つ、私は第3セッションの時に、経済の話に圧倒されてなかなか言えなかったのですが、一つ非常に気になったことは山野さんのお話です。これは原さんがおっしゃった長期のものづくりということです。この長期のものづくりということの中には技術、山野さんが紹介なさったようなこれからの技術も含めて、それから過去の技術、伝統的な技術も含めて、もう一つ、実はかつては農業と技術産品というのは別のものではありませんでした。農業も含めて、これは長期のものづくりなんです。そういうようなことを私たちが今度どうやってとらえなおしていくかという問題がある。ところがこれは農業が日本の文化だというふうに言ったのではだめなんです。これは山野さんが紹介なさったように、いかに現在、あるいは将来、技術というものはグローバライゼーション、広がっていくか、つまり地球の問題になっていくか。これが単に地球環境分野の技術だからというのではなくて、発展途上国に対するサポーティング・インダストリーだというふうに説明なさったのが、私の目から見るとちょっと不似合いなくらいに、これからの技術というのは地球の技術だと、つまリグローバライゼーションの中で考えていかなければならない技術だというふうに思いました。

同じようにNGO、NPOのこと、これは市民社会というふうに李さんが表現なさった、市民社会のグローバライゼーションも入る。それからもう一つは学問や文化のグローバライゼーションもあるわけです。

ですから、今回はこういう危機の中で市場のグローバライゼーションということが非常に話題の中心になりましたけれども、私たちはそういう技術や市民社会や文化のグローバライゼーションということに今、追られているというふうに思っていいかと思います。

これは規制ということも同じで、先ほど規制ということで白石さんがやくざの例を挙げましたが、あのやくざの例は自己規制ですね。ですから外からの規制というだけではなくて自己規制、それは非常に文化と密接な関係があるわけなんです。ですから規制もまた自己規制の問題として、私たちはグローバライゼーションの中でつくり直していかなければならないと思っています。

 

●青木

仏教というのは先ほど「チベットの7年」のことをちょっと引きましたけれども、もともとはお釈迦さんから発している教えなのに、アジア各地でそれぞれの地域に根づいた仏教が発達したのです。チベット仏教、ネパール仏教、あるいはタイ仏教とか、ビルマ仏教とか、スリランカのシンハラ仏教とかいうふうに、あるいは日本仏教、韓国仏教、そういうものが、それぞれの土地の霊、神、神々、信仰とか、あるいは習俗と結びついて独自の形で発達した。日本の場合は葬式仏教だと悪口を言われますけれども、いわゆる檀徒、檀家制度とか、こういう宗教的、社会的な制度というのは東南アジアの仏教にはありません。

それぞれよいところがあって、私はタイ仏教で修行をしたことがあり、タイ仏教というのは非常にすばらしいものだと思っておりますが、いろいろなところにアジアの価値というものが散らばっているのに、アジア人がお互いの価値をなかなかうまく見つけられない。むしろヨーロッパ人のほうがそれを見つけて研究し、また映画にしてしまうというようなことが繰り返し起こっているわけですが、やはりこういう叡知会議のようなすばらしいものが行われるとすれば、そのアジアの価値というものをお互いに見つけ合うような、コミュニケーションの場に発展させていっていただきたいと思います。

もう一つは、公共性の問題、私もそれは非常に重要だと思います。ただ、公共性を言うとそれは単なるルールブックづくりというか、これはしてはいけない、たばこを吸ってはいけないとか、そういうようなものに堕する可能性があります。というのはこれまで公共性というのはやはり例えばオスマン帝国の民族融和政策が非常にうまくいったというのは、イスラムの大義、正義というものがあって、その正義の前であらゆる民族の平等が保障される、権利が保障されるというようなことがありました。またアングロサクソン的なモデルというのは先ほど五百旗頭先生のご指摘もあったような非常な矛盾を持っているわけですけれども、これが世界を制覇していくにはやはリキリスト教的な愛とか、そういうものがやはり根底にある。

それからまた仏教の慈悲とか、メータ、カルナー、そういう概念とか、あるいは儒教の礼とか徳、そういうものがあって、つまりルールブックを超越したところにもう一つの大きな価値があって、その中で公共性が発揮されるというのは歴史でこれまで行われたものですが、それを果たして市民とか個人とか、あるいは

 

 

 

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