土地につくっていきたいのか、あるいはタイの土地に住んでいる人はどういう社会をタイの土地につくっていきたいのかと、そういう新しい問題がどうも出てくるのではないか。
一つ例を挙げますと、先ほどリードさんがおっしゃいましたように、国際的に開かれた社会というのは、例えば日本の社会には根づいてきてて、だから現在こういう会議を大阪市がやるということにもなるわけですけれども、これが実は非常に重要な問題を含んでいるということだけ申し上げます。
その例を一つ挙げます。数年前にアメリカと日本の組織犯罪について調べたことがあるのですが、非常におもしろいのです。組織犯罪、非常にぶっちゃけて言いますと、日本の場合にはやくざのメンバー、それからアメリカですといろいろなタイプのマフィア、マフィアというとアメリカではすぐにイタリアンマフィアというのが言われるわけですが、これは実はブラックマフィアとか、ジュウィシュマフィアとか、いろいろなマフィアがあるわけです。人口1,000人当たりのマフィアの構成員は何人いるかということを調べますと、日本の組織犯罪の構成員の数はアメリカの4分の1である。つまり1,000人当たりをとりますと、アメリカのほうが組織犯罪の構成員は4倍いると、そういう統計があるのです。
それはどうしてかと、これは実は非常に単純な理由がありまして、アメリカと日本では警察の仕方が違うのです。つまり日本の場合には大きい組織、やくざの組織にいわば自己規制させる。だから外から新しいマフィアを作りたいというのがきても参入規制をやる。だから結局寡占のメカニズムが働いて、なかなか組織犯罪の構成員は増えない。そこのところはアメリカでは自由競争になっていまして、大きい寡占組織ができますと、それはFBIが入ってそれを壊してしまうのです。だから常に自由競争状態が保たれて、新しいグループがどんどん入ってくる。だから数が多くなる。
どういうことかといいますと、規制緩和もいいけれども、妙なところを規制緩和すると、何か我々が望んでいるのと違う社会ができますよという話なんです。だから確かに市場と社会の関係というのは大事で、実は我々は社会と市場の関係だけではなくて、同時に本当にどういう社会をつくりたいのかということを考えておかないと大変なことになります。
第3の点は、国家の問題で、国家というのは李さんが非常にうまく説明されましたように、いわば現在、市場をどう規制するかというところで、はっきりと力が落ちております。それは間違いない。例えば日本の場合にはそれは市場との関係だけではなくて、安全保障の面でも過去50年間は、これは好き嫌いがありますので、価値判断を抜きにしますと、要するに主権国家としてはあまりまっとうなタイプではない国家、英語で言いますと“セミ・サブリン・ステイト:Semi Sovereign State”のような形と国家としてやってきた。だけどこのことは別に必ずしも悪いことではないし、今からもう一度サブリン・ステイト、主権国家になってノーマルな国家になるというのがいいかどうか、私は必ずしも確信しておりませんけれども、重要なことは、国家の力が落ちてきた時に、それにもかかわらず社会あるいは我々が何らかの形で我々の望む社会をつくろうとすれば、やはり市場というものを何らかの形で、それこそ今朝の原さんの言葉を使えば、乗りこなす、あるいは飼い馴らす仕組みというのは考えなければならない。恐らく地域秩序の問題であるとか、あるいは国家そのものが21世紀にどういうふうに変貌していくかという問題は、そういうグローバルな市場の力というものを一度飼い馴らして、そこで我々が本当に住みやすい、住みたいと思っているような社会をつくっていくにはどうしたらよいかと、そこにつなぐいわば媒介項として考えなければならないのではないだろうかというのが第3番目であります。
●座長:五百旗頭
大変重要なポイントを突くコメントをありがとうございました。
●青木 保(東京大学先端科学技術研究センター教授)
一つ、今白石さんがおまとめになったのが非常にうまいまとめだと思うのですが、国家、市場、社会、文化と、もう一つ、アジアの問題を考える場合、個人という問題があると思うのです。つまりこれは必ずしもヨーロッパの個人主義とアジアの集団主義というような話ではなくて、我々が日常生活していて、いかに個人がある意味では無力かということは、あらゆる場面で、日本でもそうですし、アジア諸国でも体験せざるを得ない部分がある。
先ほどナンディさんのおっしゃった宗教が違っても、つまり理解しあえる文化の諸刃の剣があるのだというふうにおっしゃったのですが、それは問題はやはり個人対個人という問題が明確にならないと達成できないのではないかと思います。
今回のお話、いろいろ聞いていて重要なことがいっぱい出ていましたけれども、結局市場にしても国家にしても、あるいは文化とか社会というのも、問題は個人がそれをどのように創造し、参加し、あるいはそれを動かしていくかという問題なので、アジアの個人と