アジアの未来は、未来の世代がこの人物のどちらの面を選び取るか、この人物のどちらの面を超越することができるかにかかっています。アジア諸国の闘いは対外的なものであるだけではなく、内なる闘いでもあるのです。
●座長:五百旗頭
ありがとうございました。
非常に深いところからシティズンシップ、メルティングポットではない「サラダの共存」という姿をコーチンの町の例をもって、しかしもろ刃の剣としての微妙な人間と文化の置かれている状況をお話いただきました。
それでは、続いて李さんから御報告をいただきたいと思います。
●李 錘 元(韓回、立数大学法学部教授)
このセッションの題が「新しい国際関係を模索するアジア」で、このお話をいただいたときには、私は非常に希望に満ちてお引き受けしたわけであります。この大阪国際交流センターは、まさにこの大阪を拠点にしてアジアのいろんな市民社会、最近躍進著しいものがあるわけですが、いろんなネットワーキングにより仕事をされている、その10周年記念のセミナーということで、私は余り深く考えないで、21世紀を展望するということでしたので、当然市民社会というのを射程に入れた話をしようと思い、そういうコンセプトで今お手元のレジュメもまとめてみたわけであります。
しかし、だんだん報告が近づくにつれて、21世紀、少なくとも初頭のアジアの市民社会というものは、存在するかどうかもわからなくなってしまいましたし、あるいは存在するとしても失業者の大群以外に何物でもない状態になるのかなという、極端に言えばそういう感じさえ受けるわけであります。そうすると本当に21世紀の展望というのがどのぐらい可能性があるのか、非常に懸念をしているわけですが、幸い五百旗頭先生が一応経済危機を片づけてくださいましたので、それに勇気づけられて、少なくともこの経済的な危機というものも、私はその表層的な現象の1つだろうと思いますが、そういう観点から、あえて長いタイムスパンの話をしてみたいとに思うわけであります。
言うまでもなく、世紀転換期とか世紀末という言葉は流行語のように使われてますけれども、私は今現在起きていることを理解する一つの手がかりとして、もう一つ前の世紀転換期、つまり19世紀から20世紀初めを生きて、その意味を一生懸命考えてまとめた一人の経済史家、思想家の、 カール・ポランニーという人の言葉を私なりにかりて、強引に使ったりしているわけですが、このポランニーのイメージ、問題提起というものをもう一度100年後に振り返ってその手がかりにしたいというふうに考えたわけであります。
私のレジュメにある、世紀転換期であるとか第2の大転換とかいう言葉、経済の専制、市場の専制とか、彼の言葉でありますが、既に御存じの方もいらっしゃると思いますので長々と説明は省きますが、手短に要約しますと、彼は20世紀の初め、より具体的には1930年代にほぼ同時に成立する3つの体制、運動が20世紀を大きく規定したという立場なわけです。その右にあるのがファシズムであり、左にあるのが社会主義計画経済であり、その真中を何とかしようと思ったのがアメリカ的なニューディールであると。この3つの運動あるいは体制というものがなぜ出てきたのかという関心から始まり、3つが普通イデオロギー的な区分からしますと、お互い違う、対立的なものとして論じられやすいけれども、ある意味では3つが同じような条件のもとで、同じような動機に基づいて展開されたものだということです。
なぜ出てきたのか一言で言いますと、19世紀に成立した自由放任的な市場経済、これは産業革命の結果として飛躍的に発展するわけでありますが、やがて金本位制ということで国際的にも一つの制度として登場するわけです。そのような自由放任的な資本主義が生産力を飛躍的に高めたという意味では肯定的な結果があったわけですが、当然それによって成立した市場社会というのは、国内あるいは国際的にさまざまな格差を生み出す非常に不安定なものだったわけです。この自出放任的な、資本主義による市場社会が持つ国内対外的な破滅的な動きに対する政治共同体のリアクションとして、あるいは、市場の専制、圧制というか、そういうものに対する政治共同体の反動として生まれたのがこの3つの違う形態の運動、体制であると。20世紀は言ってみればこの3つの運動がお互いに拮抗しながら、あるいは場合によっては1つの敵を倒すために2つが連携しながら歴史を展開してきたというように見ることもできるだろうと思うんです。
そのように3つの体制というのがイデオロギー的に見ると非常に違うものに見えるかもしれませんが、そこに共通しているのは非常に強い国家だということですね。強い国家、あるいは政治権力というものがマーケット、経済を規制するという発想においては共通してるんです。しかし、これが20世紀の後半、具体的に