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んでいます。この研究の自然な成り行きで、この抗争事件を現代の大虐殺の中で最も研究が進んでいるヨーロッパでのユダヤ人大虐殺と比較してみました。最も著しい違いは、ヨーロッパでの大虐殺においてはユダヤ人が犠牲者であったという点です。この大虐殺においては、私たちがインタビューを行った犠牲者たちが当時を振り返った際、敵対勢力、抑圧側の共同体に属する者が自分たちの逃亡を助けたと、ほぼ必ず証言している点に注目する必要があるでしょう。この事件の結果苦しんでいる者を含め、犠牲者のほぼ全員が、事件の後にインドのイスラム原理主義組織やイスラム原理主義の政党に加わっています。犠牲者たちは、気が進まないながらも避難の経緯についての記憶をたどり、敵対する側に属する者が、彼らの命や家族の命の危険を侵してまでも避難の手助けをしてくれたことをはっきりと思い出すのです。言い換えれば、「シンドラーのリスト」のような映画が絶賛されることは偶然ではありません。このような動きは、民衆レベルで抵抗運動を支援する際の鉄則でした。抵抗に参加した者のほとんどが教育を受けておらず、非近代的で信心深い者たちでした。彼らはヒンズー教徒を支援する世俗化したイスラム教徒でも、イスラム教徒を支援する世俗化したとヒンズー教徒でもなく、社会規範が崩壊し、自分の共同体が他の共同体を虐殺している場合には、他の共同体やそれに属する人々を救い出すことが自分たちの宗教上の義務の一部であると信じていた、本当に信心深い人々でした。

これらの実例をあげたのは、文化が今後新たに台頭する世界秩序を左右するとか、未来の国際秩序がどうなるかを理解する上では、文化を研究する者の方が、これまでの科学者や思想家よりも優れた仕事をする、ということを言うためではありません。これらの実例をあげた目的は、心理学者として、あるいは文化研究者として、文化が諸刃の剣であることを示すためです。文化は有益なものにも不利益なものにもなります。文化がどちらのものになるかは、如何なる道を選択し、どのような文化をどのような方法で活用し、未来の国際秩序を支える基盤や特質となるべき全く種類の違う市民という課題にどのように取り組むかという点にかかっています。願わくば、この点を一層明確にするため、今一つの実例をあげたいと思います。正しい歴史学の掟をすべて順守している、インドのある著名な歴史家がいます。彼のインド史研究には、歴史に対する正しい価値観と、政治的に正しい歴史解釈がすべてなされています。しかし、彼はオックスフォード大学で教鞭をとり、インド史を講義しているにもかかわらず、最近彼が執筆した白叙伝は、英語ではなくベンガル語で書かれ、カルカッタで出版されました。彼が自分の自叙伝に固執していないことや、自叙伝の出版により勿体振った態度をとっていないことは、彼が本のタイトルをベンガル語で「オッフィスセナイ翁の回顧とし、もうひとりの自分になりきっていることからも明きらかです。

彼はこの自叙伝の中で、幼い頃から家族ぐるみで付き合ってきた友人たちへの当惑を表明しています。彼の家族はもともとバングラデシュで暮らしていましたが、インド分害」にともない、土地を追われ、難民となりました。さて友人たちのうちの一人は、付き合いが長いため、彼のことをいつもおじと呼んでいました。家族はこの友人を子供の頃から知っており、歴史家の母親はこの友人を歴史家の弟であるかのように扱いました。この友人はイスラム教徒でした。1948年になって、彼は次第に民族主義的な政治に参加するようになり、よくある話で、小さな町の地方指導者、イスラム民族主義組織の指導者となりました。

歴史家とその家族はヒンズー教徒でした。家族は、この古くからの友人が、 ヒンズー教徒に対する過激化する暴力に関与しているだけではなく、幾つかのヒンズー教徒殺害事件にも関与している噂を耳にし始めました。この友人は毎年、 ヒンズー教の最もめでたい祝日に家族を訪れ、この歴史家の母親の足に触れて敬意を示すことを習慣としていました。彼はいつも、歴史家の母親をおばさんとは呼ばず、お母さんと呼びました。歴史家はその年、彼が母親のところに来て足に触れた時のことを回想しています。母親は、「サジャルよ、お前はなぜこのめでたい祝日にヒンズー教の家に来て、私の足に触れ、私を祝福するのか。お前はイスラム民族主義政治の裏で働いていると聞く。お前はヒンズー教徒をこの国から追い払おうとしている。なぜヒンズー教徒のところに来て祝福するのか。お前はヒンズー教徒を嫌悪していると聞く。」と言いました。彼は大男でしたが、突然小さな子供のようにわっと泣き出して、言いました。「お母さん、あなたは私を子供の頃から知っています。いつも捧げ物をすることを許してくれています。どうかその質問をしないで下さい。私がどこで何をしようと構わないで下さい。この家に来られる恩恵を私から奪わないで下さい。この家の扉が閉ざされれば、私にはこの世に誰もいなくなってしまいます。」

私の最後の指摘として、文化の持つ諸刃の本性は人間の持つ諸刃の本性でもあることを申し上げておきます。この人物は、文化の持つ諸刃の本性を代表しています。

 

 

 

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