が到来しますが、今から98年前の世代が、この2,000年の到来をどう見ていたかを知ることが良い例でしょう。私にとって最も示唆的だったのは、私たちが生きている時代が2,000年には、どのような所に行き着くかということについて、著名な科学者、思想家、哲学者たちが行った予測をまとめた98年前の報告書を復刻した論文でした。科学者の中には、ラザフォード、 トーマス・アルヴァ・エジソンなど、思い付く限りほとんどすべての大科学者が名を連ねています。思想家では、未来について体系的で極めて独創的な思考を展開したH.G.ウェルズらが含まれています。
100名の思想家、科学者、技術者が、20世紀中に、つまり2,000年までに起きる大きな変化を予測するよう依頼を受けたのでしょうが、科学者も含めて、ほぼ全員の予測が間違っていたことは注目に値します。テレビのようなものは日常生活の一部にはなりえないと予測した者もいます。人々は飛行機の登場など予測できず、気球を使用し続けるだろうと考えていました。自動車を個人の移動に用いることなどないと予測していました。このように、偉大な人物でさえ間違いを犯します。しかしそれはさほど重要な点ではなく、彼らがすべて19世紀の視点から20世紀がどうなるかを予測したために誤りを犯したという点こそが重要なのです。未来は、決して過去や現在の投影ではありません。未来と現在の間には、必ず乖離、断絶があります。この著名人たちの予測から、未来が現在の直線的な投影ではないということばかりでなく、専門家でも予測を誤る場合があるということを私たちは学ぶことができます。実際、SF小説は想像力を十二分に発揮して書かれるため、SF小説家も含めた空想家は、しばしば科学者、経済学者、歴史家よりも正確な予測をしています。
未来への展望の際に生じる問題の二つ目は、直前の過去との断絶です。17世紀に近代という時代が幕を開けた時、人類の活動のほぼすべての領域において、中世と近代の間に一線を引こうとする傾向がありました。近代を擁護する者は、中世、つまり直前の過去から距離を置こうとしました。しかし、近代と中世の連続性が全くなかったわけではありません。例えば近代医学史では、近代医学が中世医学から発展したことがわかっており、寄生虫やマラリアなどの存在が発見されました。中世の医学は近代医学が形成される基礎となりました。しかし、近代医学が初めて世界の舞台に登場した時、ほとんどすべての近代医学史家や近代医学の理論家は、近代医学と中世医学をまったく別なものと見なそうとしました。これが人間の性向というものです。実際、近代のあらゆる分野で、時代の考え方がギリシャ時代へと回帰していく傾向があり、近代においては自分たちは、ヘレニズム時代と繋がっているのであり、中世とは断絶しているとする風潮がありました。
未来の世代がこの性向を引き継げば、今現在の考え方や世界観と、彼らの考え方や世界観の間に鮮明な断絶を設けようとするでしょう。私たちの時代に戻るよりも、私たちより前の時代に戻るでしょう。人間が経験する大きな変化が及ほす影響はいずれも激烈であり、断絶は必然的なものでしょう。
以上二点を申し上げたのは、安藤仁介教授が昨日提起された問題に間接立ち返るためです。世界の舞台には、経済機構や政治機構の他に、個々の人間が存在します。市民と呼ばれる存在があります。人類がこれから経験する新たな世界について議論するためには、市民という概念の再定義が必要になるかも知れません。未来の国際秩序、未来のアジアの秩序について議論されるとすれば、その議論の中で、市民という概念が何らかの形で再定義がされるだろうと私は予測いたします。現代の市民ではなく、これまでの文化と文明の中で獲得されて来た市民という概念を検討することによって、有益なものが学べるでしょう。市民という概念の再検討は、決して過去ヘタイムトラベルしようという試みでも、再評価によって過去を文明と文化の素晴らしい黄金時代として捉えようという試みでもありません。これは、私たちの周囲に散在する利用可能なものを見つめようという試みなのです。
私の報告の後半では、二つの実例を取り上げさせていただきます。私は、過去1,000年以上にわたって文化と文明の合流点であったインド南部、および西部の沿岸地域とスリランカにある幾つかの都市に関心を持っています。スラト、マンガロール、コーチン、コロンボ、そしてカリカットの計5つの都市です。これらの都市は、現在世界で最もよく知られている都市が発展する以前から存在していました。私が今問題にしているのは過去1,000年の時代ですが、これらの都市は、2,000年近くの歴史を持っています。私がこの5都市に関心を持った理由は、これらの都市のうち2つの都市には、これまで民族対立と宗教対立がありながら、民族友好と共同体間の親睦が図られてきているという驚くべき事実があることが判明したからです。この記録は、カースト、階級、宗教、性の異なる民族だけでなく、国の異なる民族とも共存できる可能性があることを示しています。
私は最終的にコーチンを研究テーマに選びました。