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セッション4

 

新しい国際関係を模索するアジア〜アジア太平洋地域の国際関係をどう考えるか

 

座長 五百旗頭 真 (神戸大学法学部教授)

報告 アシス・ナンディ (インド、デリー社会開発研究所主席研究員)

報告 李 鍾 元 (韓国、立教大学法学部教授)

コメント アンソニー・リード (オーストラリア、オーストラリア国立大学アジア太平洋研究所東南アジア史教授)

コメント 白石 隆 (京都大学東南アジア研究センター教授)

 

●座長:五百旗頭 真氏(神戸大学法学部教授)

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午前をもって経済危機のセッションが終わりました。これをもって経済危機も終わったことにしたいところであります。(笑)

歴史家である私からすれば、この東アジアの経済危機というのは簡単でありまして、永遠の繁栄はこの世に存在しないということを示したにすぎない。かつてのビクトリア朝のイギリスの繁栄も、20年代のアメリカ、T型フォードの車がアメリカ中を駆けめぐったあの「永遠の繁栄」も、60年代の日本の高度成長も、あるいは石油危機からよみがえった後の日本の80年代の強い円の時代も、すべて始まりがあったものには終わりがある。同じく東アジアの目覚ましい躍進、一国のみならず群団的な大躍進にも、やはり始まりがあれば終わりがあるということにすぎないというふうに思います。

こういうふうに、危機が来ますとネガティブに暗く考えやすいですけれども、私はこのたびKITというんですか、コーリア、インドネシア、タイランド、KIT諸国におめでとうと申し上げたい。無理とゆがみをあえてして躍進する能力、それを示した国々、発展能力のいわば証左としてこういうときが来るんですね。その証拠には、中国やマレーシアが管理が厳しいので、十分開放しなかったゆえに比較的影響が少ないではないかという指摘もございましたが、もっと言うならば、ベトナムや、ミャンマーや、北朝鮮は、このたび経済危機に見舞われる資格をまだ持たなかったわけです。無理とゆがみを伴って大きく躍進する、そういうすばらしい力を示した国だけが今この危機に取りつかれ得たと、その資格を得たということだと思います。

そして、歴史を見れば、そういう無理とゆがみをあえてして伸びる力を示した社会が最初の行き詰まりによって終わった例は一つもない。最初の行き詰まりの後、必ず学習して、そこからまた伸び始めたということがほとんど例外なしでありまして、一度そういう能力を示したら、それはやはり相当なものがあると考えなきゃいけないだろうと見ております。これから学んでどう対応するかということについては、なお議論すべき点が幾らもあって、午前のセッションはそういう意味で大変に知的刺激に富むものでありましたが、ここでその話を一区切りいたしまして、今度はもう少し広い観点から、経済だけではなく、文化、政治、国際関係の方からもどのような展望を持ち得るのかということをこの第4セッションで論じていただきたいと思います。

スピーカーは、もう我々にはすっかりおなじみのナンディさん、そして李さんにお願いしております。それではナンディさんから、どうぞよろしく。

 

●アシス・ナンディ(インド、デリー社会開発研究所主席研究員)

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この世に永遠に続くものは存在しません。私たちの祖父母も両親も他界しました。私たちもいずれいなくなります。人類史を繙けば、永遠に続くとされていたものが、ある程度の時間を置いて幕を閉じていることがわかります。ヨーロッパの暗黒時代は400年以上は続きませんでした。250年しか続かなかったと言う人もいます。永久に続くと思われていた古代アジア国家の社会と文明でさえも、500年以上は続きませんでした。人類史上、おそらく最も有力だと考えられていたニュートン的世界観も、200年以上は続きませんでした。量子力学的な価値観がすでにそれに取って代わっています。それゆえ、好むと好まざるとにかかわらず、私たちが現在生きている近代社会、この不完全な近代という時代も、いずれ終わりを告げるでしょう。このように、いつか時代は幕を閉じるという考えは、私たちにとってあまり心地のよいものとは言えません。しかし、いつの時代においても、その時代が永遠に続くものだという考えが一般的であったことは事実でしよう。時代が転換期を迎え、未来を展望する時期には、人々は必ず次の二つの事柄を経験するでしょう。

一つ目は、次世代を予想する時、現在の時代の視点から未来を予想してしまい、おうおうにして、その予想ははずれるということです。あと2年で西暦2,000年

 

 

 

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