で星も付いていないような言葉がえらくはやるような状況で、次から次へ起きていって今に至っております。これはどうしてかという話をしますと、これだけで2、3時間の講義になりますから、それは皆さん御承知のことということで、一連の事件が、あるいは今のその流れ、歴史の中で僕たちに問いかけているものがあるとすれば何だろうかというので、4つほど考えてみたわけです。
一番大きなポイントの1つは、先進国間の為持動向の重要性、安定をすることの重要性、これはピシットさんが3番目のポイントとして挙げられた点であります。
ドルと円とは、御承知のとおり非常に短い間に考えもつかないほど上下に触れて動いてきたということです。85年の9月の23日には242円であったということを覚えていらっしゃる方もおられると思いますし、2年半ぐらい前、95年の4月、5月には80円を割るかというところまでドルは安くなっていっております。その間、そのドル円の為替レートというのは、我々日本人にとって見れば、日本の為替相場そのものでありまして、円高不況が来るとか、あるいは日本の体制ができ上がってないから円は売られているとか、言ってみればみんな中へ中ヘ目を向けて、ドル円の為替の一見被害者ふうな感じで物事を考えてきたんですけれども、ここ2年半ほどはこれが円安の方向に動いたがゆえに、ほとんど自動的にタイバーツを初めとしたアジアの通貨が実質切り上がってしまっていって、それがピシットさんの言われるアジア諸国の貿易勘定経常収支の赤字を呼んでしまったんだというロジックが、そこに厳然としてあるというのは、問題が起きるまで僕らはあまり重要度のあるものとして考えてなかったという反省があります。ドル高、円安、ユーロ安、ユーロをつくり上げるであろう通貨の通貨安というのは、勝手に彼らの事情でそういう状況になってはおるんですけれども、これをどういうように安定的にかつ計算可能、予測可能なレンジの中に動いていく、動かせていくか。しかも、妙な約束をして、国際短資に為替投機を起こさせたり、フリーライドするような動きをさせないというようなことを目指して、これは叡知を絞っていかなきゃならん、この点が一番大きな点の一つだと思います。
来年にはヨーロッパの統一通貨ができますから、アメリカの金融市場、資本市場に匹敵する大きさを持つ市場をバックとした新しい通貨が登場するということで、ある種アメリカに対してのカウンター・ウェイトの役をやってくれるだろうというふうに私などは考えておりますが、ドル、あるいはアメリカのこれまでのようなひとりよがりの為替政策、為替の動き等を、そうではなくて、一参加者として彼らには彼らなりに動いてもらうというような中で、安定的な推移を考えていくということなんだと思います。おかげさまで国際通貨研究所はずっとはやっていくのかなと考えております。
もう一つは、これもピシットさんの中にありましたグローバライゼーション、アメリカナイゼーションとでも言うべき論理が行き過ぎたんではなかろうかというのを、私はあちこちでよく言うんですけれども、もっとハイブラウなお言葉でピシットさんがこれを言ってくださったので大変にうれしく思います。
短資の動き、これはそのターゲットにしている市場が金融セクターであろうと、あるいは株、債券の市場であろうと、はっきり言えば来てほしくないときにしか来ないで、一番帰ってほしくないときにさっさと帰っていくという性格を持っています。これは私ども日本の経験でも大変に覚えのあることでございまして、80年代の終わりにマレーシアに行って3年ほど暮らしていたときに、資本市場の開放論みたいなことが出たとき僕一人だけ声をやや大にして、無定見な開放というのに反対した覚えがあるんですけれども、ピシットさんはもうそろそろタイムアウトをとらなければいかんと、このタイムアウトいうことも必要だと思いますし、それを支える論理的な枠組みを考えていかなければいかんという気がします。例えば皮肉にも、とおっしゃいましたが、規制を持っていた中国やマレーシアは、今は比較的安定しています、逆にインドネシアは世銀がメインバンクを長く務めてきたようなところで、ワシントンの論理どおりに98年4月からの日本の改正管理法よりもはるかに徹底した管理法の撤廃の中で、それこそ短資の行き来、あるいは資本逃避の起きるようなことは全く規制もせずに、国の中がきれいにちゃんとしていれば、市場がそれを考えて評価してくれるはずだということで国をつくってきた国が今どうなっているかというようなことだと思います。市場至上主義、言ってみれば、インドネシア、韓国が取り付けに遭っているのは、国の中がきっちりしてないからで、それを市場が罰しているないし嫌っているからで、国の中をきれいにするのがまず第一義であるというのは、真理なんでしょうけども、全く一面の真理でしかないと思います。というのも、市場の動きというのは常にオーバーシュートの繰り返しでありまして、行き過ぎが必ず見えます。この行き過ぎがもたらすコストというのは、これはかなり膨大であるという