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ことをいろいろな角度から我々に教えていただいたと思います。4人の先生方のお話については今、五百旗頭先生からお話がございましたので、これ以上追加することはありませんが、一点だけ、川勝先生のグローバリゼーションとアジアという中で、いわゆる憧れられる文化というものは文明につながるのだというご指摘は大変貴重なご指摘であります。しからば日本がそういった方向に動いていけるのかということについては、私はやはり方法がたくさんあると思うのですが、その一つは何と言いましても自然科学の分野、この分野が日本がこれから貢献できる一つの場所ではなかろうかと思います。自然科学というのはご承知のように、大きな表現をしますと「真理は一つ」という言葉がありますように宗教とかイデオロギーを超越する分野でありまして、その分野が私はこれからのあらゆる場所に、文明あるいは文化そういったものに相共通する問題ではなかろうかと考えます。

それからもう一つは経済という分野もこれからは、明日私はスピーカーでお話を申し上げることになっているのですが、やはり自然科学、技術という分野を無視しては語れなくなっていると思います。今までの国家は武力というもので支えられてきた時代でありますから、まさに20世紀は武力の時代だったと思うのですけれども、これからは経済の時代である。経済の時代はある意味では私は自然科学というものが非常に大きな力を発揮する時代ではなかろうかというふうに考えております。

川勝さんのお話に大変触発されましたので、そういったことを私も感想として申し上げて終わりたいと思います。ありがとうございました。

 

●リード

ニつの点について申し上げたいと思います。一点目はナンディさんが述べられたことに対するコメントです。特に、インドやその他の地域に住む複数のアイデンティティーをもった農村部住民に見られる、興味深い光景についてです。そうした光景はアジアの多くの地域に見られます。こうした社会の実際の姿は、画一的なアイデンティティーを押し付けるようなナショナリズムの影響を受けていない世界を筆頭に、様々な地域に見られます。問題は、こうしたものが問題解決を保証してくれるものにはならない、という点です。小規模集団からナショナリズム、特に民族国家主義が枝分かれして行くかなり以前のヨーロッパの状況、1890年当時のウィーンの状況がこれと同じものだったからです。つい最近のサラエボの状況も同様です。私には、複数のアイデンティティーが、こうした脅威が勃発しないことの保証になるとは思えません。むしろ、複数のアイデンティティーにはいかなる機能があるか、という別の論点があるのではないでしょうか。アジアまたは世界は、はっきりと確信を持って言えるほど、根本的に変わったのでしょうか。確かに時代は変わりました。生物学的に純粋であるという狂気じみたイデオロギーは、もう存在しません。DNAが、再び科学の分野に遺伝学の隆盛をもたらしていますが、生物学的な純粋性を支えるためのものではありません。しかしながら、現代には存在しないはずの自民族の純粋性を、セルビア人やクロアチア人が主張し合うことは止められませんでした。

二点目は、アジアは変わったかという問題です。私には、判然としません。私はナショナリズムの文献について言及しましたが、いささか不満が残ります。それらは極めて啓蒙主義的ですが、アジア、特に東アジアの問題に関しては、現在までのところ、それほど役立つ資料とは思えません。中華ナショナリズム、ベトナムナショナリズム、朝鮮ナショナリズムとは何かを理解する手掛かりにはなりません。そこには、何かもっと違った本質があると思います。つまり、日中さんが述べられた印刷・出版資本主義のことです。とはいえ、世界のこの地域では、1,000年も前から印刷術が続けられています。それならば、こうしたナショナリズムによって、ある種の官僚、おそらくは技術官僚と呼ぶべき層が同時に成熱していったのは、なぜでしょうか。私の申し上げたいことは、東アジアには、ヨーロッパよりはるか以前から、有能な人材を採用するための試験制度が導入されており、そうした人材による画一的な官僚制や印刷術から、ある種の画一性が形成されていたということです。東アジアでは、長い間、何かが続いているのです。

それゆえ、ナショナリズムは、アジアの多くの地域にとって新しいものだといえるのではないでしょうか。インドネシアには、ナショナリズム、特に民族国家主義がまだ誕生していないと言われています。私たちの前途には多くの問題が待ち構えているでしょう。しかし、古くからの歴史を持ち、そのためこうした一元的なアイデンティティーヘの病的なこだわりに影響される危険性が少ない、 ヨーロッパとは別のナショナリズム現象が、アジアにはあるのです。

 

●川勝

モハマドさんの言われることはまことにもっともであります。市民社会とか、地球人とか普遍的な言葉をもっと大事にすべきではないかということですね。しかし海洋アジアというものが今まで知られていなかった。

 

 

 

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