うふうにおっしゃっているように見えます。ほかの人はどうお考えですかという質問なのです。
●李 鍾 元(韓国、立教大学法学部教授)
今の質問とも若干関連すると思いますが、例えば西洋近代文明と非常に対照的な形での日本文明というのが描かれ、非常に美しい世界なわけですけれども、こういうのはどういう条件によって現れたり現れなかったりするのか。つまり日本の中においても運命づけられたある種の方向性を持って現れるのか、もし21世紀により前面に現れるとすればそれは人々が選択するからなのか、あるいは特殊な条件の変化なのかということです。
政治学とか非常に俗物的な、即物的なと言いましょうか、そういう学問をしているとどうしても社会経済的な条件とか、あるいは政策決定者へのいろいろな要素であるとか考えるわけです。秀吉のある種の失敗から国家が学び、政策的な選択をするというのは何となくわかるような気がするのですが、この文明の進路の選択というのは少なくとも例えば日本において、その美しい日本文明の形がある日突然西洋近代文明に切りかえられたりしたというのも歴史の事実としてあるわけなのですが、それは福沢諭吉の言説だけでそうなったのかということなのです。
それからもう一つは、それとも関連しますけれども、このようなことはただ特殊な条件に恵まれた日本においてだけ成立するものなのかということなのです。つまり幾つかの条件が明確に説明をされていませんが、島であるとか海であるとか、地理的でもう少し狭めていくと地政学的な、そういう条件だとするとアジアにも陸のアジアもあればいろいろな描かれている世界があります。そうすると例えばこのようなビジョンは実現されないところもあり、例えば中国では無理ということになるのでしょうか。つまり日本だけで可能なある種のシナリオなのか、あるいはもう少し普遍性を持つ、ヨーロッパでも憧れるとおっしゃったのですが、憧れるというのはただ絵を一枚飾ることはできるかもしれませんけれども、それは社会単位でどこまで再生、レプリケイトできるものなのかということの意味をもう少しおっしゃってくださればということなのです。
●五百旗頭 真(神戸大学法学部教授)
4つの報告が非常にすばらしい、それぞれ個性を持つて充実したものであったということに、まず感謝を表したいと思います。
川勝さんのお話は500年前の海の世界のいわば近現代史の源流になるような時代を語られました。これはリードさんご自身の研究もそこを対象にしていらっしゃるわけですが、日中さんのコメントを含めて、歴史を新しい視野で開拓して再び意味をよみがえらせるという今日の学問的潮流をこのセッションは見事に代表していらしたと思います。そうしながら非常に大きな展望、ビジョン、果して日本は文化を文明たらしめることができるかというふうな川勝さんの展望に示されるようなことを出していらっしゃると、ある感銘を覚えました。
それでいて、では大変甘い大ぶろしきかと言いますと、リードさんは30年代のヨーロッパ経験をもとに、社会として人間として致命的な暴発をすることはないのかと注意を喚起され、ナンディさんはそういう場合社会がある大きな変化の中でアレルギーと言いますか、けいれん的発作を起こすような事態がある。調子のよい時はいい、東アジアがぐんぐん皆伸びていて皆ハッピーという時はよいけれども、こういうふうに経済危機というものががたんと来た時に、あるいは日本で言えば関東大震災のような大災害に見舞われた時に虐殺を行ったりすることもあった。そういうふうなことが、こういう束アジアの経済危機というのが軽く済めばよいですけれども、重大な政治危機に結びついた時に起こらないか。そういうものに対する抵抗力、阻止力を社会が持っているかどうか。それは一国の社会であると同時に例えば関東大震災とこの度の神戸大震災の違いで見ると、グローバルな情報の行き来とか、目がある、見守っているというふうな新しい要素を含めて国際社会が対応力を持っているかどうか、そういうふうなことが非常に大事になると、私も同感しました。まずこのセッションで出された4つの報告の多角的な大変よい内容のものに対する共感と感謝を申し上げて終わりたいと思います。
●座長:青木
ありがとうございました。またもや4つのご報告になってしまいましたが。何かございますか、山野さん。
●山野 大(関西経済同友会前代表幹事・三洋電機株式会社代表取締役副会長)
先ほどからお話をお伺いしておりますが、私はビジネスの分野の専門でありますので、ビジネスというのはこのお話から一番縁遠いところにありますので、私はむしろ技術という立場から、私の専門は物理でございましたのでこのお話から、これもほど遠いのですけれども申し上げたいと思います。
4人の先生方のお話をお伺いして非常に強く感銘を受けましたのは、やはり歴史というものの重さという