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ニティーというものは非常に小さく分かれていて、そのコミュニティーは自分たち自身で経営しています。自治というふうに今では言われますけれども、これもグローバライゼーションの結果起こってきたということが言えると思います。

リードさんのお話、川勝さんのお話、そしてナンディさんの自己は他己であるということや、それからアジアの文化は飾りになってはならないということを非常に貴重な話として伺いました。私はこれからのアジア諸国に対して日本が何かある役割を果たすとすると、それは何かのイデオロギーなりあるいは方針なりを示すことではなくて、まさに川勝さんがおっしゃったことと非常によく似ているのですけれども、あるシステムをつくっていく、今までになかった、しかし実際に過去に持っていたそのようなシステムをもう一度発見しながらつくっていくということだと思います。これは国の中のシステムであると同時に国の外と結びついていく金融システムかもしれません。そういうようなものが必要になってくるのではないかというふうに思っています。

 

●座長:青木

どうもありがとうございました。

これまで結局4つのご講演を聞いたようなものですけれども、ご質問なりあるいはコメントなりがありましたらごく短くお願いしたいと思います。

 

●グナワン・モハマド(インドネシア、情報普及研究所所長)

複数の可能性、複数のアイデンティティーという考え方について、私の意見を申し上げます。私の好きな言葉に、エドワード・サイト氏の「現代は純粋に一つであるような人間は存在しない」という言葉があります。もちろん、日本を除くアジアの都市に生活する人々の問題です。複数の民族が混在していることに強い不安感があるため、アジアではアイデンティティーが問題となるのです。これはインド人にとっても、米国の黒人にとっても同様です。門をくぐるよそ者にとって、問題となるのがアイデンティティーです。しかしながら今日は、万人がよそ者であり、万人が万人の門をくぐろうとしているのが現状です。

ナンディーさんが複数のアイデンティティーの問題で指摘されたことを忘れてはならないと思います。この点で、私は川勝さんの文化の概念に懸念を抱いています。私の理解が正しければ、川勝さんの文化の概念は、数えることのできる定義付けされた実体と解釈できます。6,000の文化がある、または、3,000の文化がある、というようにです。私は、文化とは、文化と文化の間に一つの定義付けをし、境界線を引いたものだと解釈しています。私は、アジアの近代は、ヨーロッパが自らの近代を別の姿にして生み出したものだ、という言い方は間違っていると思います。近代化を始めたのは、ヴァスコ・ダ・ガマ一人ではないからです。ギリシャのアルカポネスでさえ、アジアとはペルシア人のことであり、ペルシア人とは民のことであると語っています。民とは奴隷です。ギリシャ人は自由で、軍事的に強大でした。こうした歴史上、文化上の覇権は必ず、特定の優位な立場を持って歴史的な生き残りをかけて巧妙に歩みを進めます。これが、海洋アジアを、グローバリゼーションの起源とする見方にいつも疑問を感じる理由です。グローバリゼーションが始まったのは、紀元前5世紀だというという見方もありますし、一方、国際貿易が始まった時代からだという見方もあるからです。

もちろん、人間にとって場所を移動する手段が海路である以上、海洋アジアという考えは、複数のアイデンティティーという可能性を気づかせるのには優れた方法です。この考えを未来に適用する時に問題となるのは、国際的に取引される商品には、以前のように物質的な品物だけでなく、海路を使用しなくとも移動が可能なサービスや情報も合まれるということです。海洋アジアという考えを、過去の世界や未来の世界に対する視軸として適用することにも問題があるのではないでしょうか。リードさんが提起された、ポスト・ナショナル・アイデンティティーをテーマとして議論を始める必要があると思います。リードさんの発言にもあった、市民が中心となり、市民が国民国家の一部であるような、国境を越えた市民社会が必要とされています。共同体が流入市場や政府の市場介入に対する歯止めとなる、国境を越えた市民社会について、議論を深める必要があると思います。

 

●白石 隆(京都大学東南アジア研究センター教授)

私の質問はある意味では非常に単純な質問で、日中さんの江戸時代についてのコメントではっと思ってお尋ねするのですけれども、人間の物の見方、人間が自分とは何かとあるいは世界とは何かということはある時にやはり極めてラディカルに変わる。かつて恐らく日本の場合ですと400年ぐらい前なのでしょうか、400年から500年ぐらい前の話なのでしょうか、やはり一度ラディカルに変わって、その後もう一度150年ぐらい前のところでラディカルに変わっていると。私の質問は非常に単純でして、では今我々の物の見方というものはやはりラディカルに変わっているのでしょうか。川勝さんはどうもいや今変わりつつあるのだとい

 

 

 

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