くられてきたのです。その動きを理解しないと日本の文化のありよう全体がわからなくなるのではないかという思いで、そのネットワーク、アジア全体のネットワークの歴史の中で日本の文化をとらえるというような方向をとっています。
そこから見ましても、リードさんは、東南アジアの歴史を扱う時にも国を越えてそれぞれの文化の諸側面というものを比較しながらその共通性と異質性、多様性を描き出しておられます。しかもその多様性は固定的なものではない、いつも動き続けている多様性であって、それが歴史をつくってきているわけですが、そういう見方をしていらして私は非常に多くのものを学びました。
今日のお話もそのようなものを感じます。つまりアジアのこれからということを考えた時に、それがヨーロッパの歴史、しかも産業革命によって発展したヨーロッパではなくて衰退したと言われているヨーロッパのあらゆる危機というものと、アジアがこれから迎えるであろう危機というものを比較してその危機を見つめるべきだということが私には非常に感動的でありましたし、そういう動きの歴史をとらえ、危機を見つめていらっしゃるということとが私にとっては非常に大きなことでした。
しかもその危機の内容なのですが、どうしてもアジアの危機というものをこの頃のことでとらえてしまいますと経済危機という話になってしまいます。経済危機というのは自分たちがどのぐらいこれから損をするか、得をするかということにどうしてもなってしまうのです。つまり自分たちにとっての生活の危機ということに直結してしまうのですが、リードさんは、社会として人間として私たちはこれからどういうふうになってしまうだろうかと、つまりもしかしたら最悪の社会を持ってしまうのではないか、そういう危険というものを見ていなくてはならないと言っておられます。ですから危機のとらえ方がそこで違うと思います。つまり経済的危機ではなくて人間にとっての価値の危機です。そういう意味で私にとっては非常に刺激的なお話でした。
それからもう一つ、川勝さんのお話は500年前ということで、その500年前から江戸時代が始まるまでのことについてはもうお話になったので、私がつけ加えることは何もないのです。しかしもう少し江戸時代に近づいた時のことで幾つか大事なことをお話ししたいと思います。
世界の経済と日本との関係というのは川勝さんがお話しになったとおりです。もう一つ大きなこととして、ちょうどそれこそ400年前、1597年に日本が戦争に負けたわけです。これは「日本が」というふうに言ってしまうと、つまり国民国家があったわけではないので少し違うのですが、秀吉がアジア全体を制覇する目的で朝鮮半島に入って、そして負けて帰ってきました。それがちょうど400年前です。私は江戸時代という時代ができる非常に大きな要因というのが、まず一つは世界経済、特に銀の問題だと思います。日本の銀というのは力を持っていましたが、それよりも南米から銀がアジアに流れてきたという、スペイン人による南米の銀の開発のことが一つ、もう一つは秀吉がアジア全体の支配をもくろんで出ていこうとしたこと、これはやはり非常に大きな要因であったと思います。
この2つのことと、それからもちろん徐々にではありますが、国内資源の枯渇というような問題もあります。そのようなことが重なってやはり江戸時代の直前に日本にとっての非常に大きな危機があったと思っています。単なる歴史の変化という程度のことではない、まさにグローバライゼーションが起こったのです。江戸時代の始まりのところから見ますと、グローバライゼーションというのはまず一つは危機であると、発展とは限らないで非常に危険なことであるということです。それからもう一つは底辺にまで落ちる可能性がありますので、そこからの立て直しの時期であるということです。その危険なグローバライゼーションということにその時日本は出会ったと思っています。この秀吉のアジア制覇のもくろみは完全に敗北しましたから、アジアによる制裁を受けたと表現をしてもよいと思います。
その結果、いろいろなことが起こったわけですが、一つは川勝さんがおっしゃったような技術の問題、つまりもともと技術がほとんどない国だったわけですから、それを中国ともちろん江戸時代に入ってからはインドの影響も非常に大きく受けますが、その中国とインドの影響によって技術国家をつくろうとしたということ。それからもう一つ川勝さんが最後におっしゃったことですが、文化から文明になる可能性、まさにこの時も文化から文明になる、つまり文明というものを持たなかった日本が初めて中国に倣って文明というものを目指そうとしたということがあります。
そのような非常に大きな変化、つまり技術の獲得と文明化によって国を立て直そうとしたということがありました。この立て直しの時に何に力を入れたかと言いますと、一つは外交です。これは鎖国という言葉がある以上は外交についてはなかなか研究が進んでいませんけれども、一つは外交です。つまり大量の鉄砲を