並ぶ近代化のあり方があったというふうに思うわけであります。ヨーロッパの場合は何しろ北緯50度以北であります。フランスの南部で北緯50度です。それより以北に位置していますから土地が貧しいので、どうしても自分たちの植民したアメリカで熱帯の作物をつくるというふうにしなければいけません。コーヒーを移植する、あるいは砂糖を移植する、あるいは木綿をそこでつくるにしましても、遠いので、人間が少ない。しかし資源はたくさんあります。だからフロンティアをどんどんと広げていきます。フロンティア開拓これは善であると、マニフェスト・デスティニィーである。それを別の言葉で言うと自然破壊ではありませんか。しかしそれが善であった、それをやっていったということです。
しかも新しい土地を自分たちのものにするということはそこを守らないといけません。したがってそれはどうしても軍事というものを伴ってきます。覇権主義にならぎるを得ません。だから覇権主義どうしの関係をどうするかという、そのための国際法をつくらなくてはなりません。それが戦争と平和の法であります。
戦争と平和の法は17世紀にできあがります。その戦争と平和の法を読むと戦争の法のことしか書いてありません。正統な戦争というのは国家が護衛のためにする戦争であるということが書かれています。言い換えると戦争を正当化することが書かれてありますが、それは当時のヨーロッパの現実を正当化したものです。つまリヨーロッパは富国になるためには強兵を伴わざるを得ないような、そういう国づくりをしていたわけです。
一方、日本の場合はそれを全部この国内の中に入れ込んだのです。お茶も砂糖も木綿も生糸も絹織物も陶磁器も全部この国の中でつくりました。この国の中でつくったのでフロンティアがありません。フロンティアがないのでどうしたらよいかというとリサイクルをするしかない。そういう社会をつくり上げました。それを後に日本が開国した時にヨーロッパ人が見て、日本の農業は農業ではなくて何もかもが余りにきれいなのでこれはホリスカルチャー、つまり園芸であると言いました。つまり庭であると言ったわけです。日本はすべての生活景観が庭である。都市に行くと緑が、朝顔や、あるいは大名庭園で茶園がつくられている、これまたガーデンシテイーであるというふうにして感嘆おくにあたわなかったわけであります。それほどの国をつくりました。もちろんそれぐらいの国をつくっているということは、日本は自己目的にしたのではなくて、結果的にそうなったのであります。
ともあれそういう日本の形は、今一万円札に印刷されている福沢諭吉氏が親の仇として切り捨て、「脱亜入欧」ということで、ヨーロッパの文明を取り入れるということを目的にされまして、すっかり忘れ去られた上で我々はヨーロッパ型の近代化すなわち西洋化というものに乗り出して、そのツケを第2次大戦で支払ったというわけであります。
さて、そこで学ぶべきは何かというとヨーロッパの近代はアジアに原型がある、グローバル社会の一つのつくりかえた形であるということであります。我々はヨーロッパの近代に学ぶ必要があるでしょう。確かにリード氏の言うようにヨーロッパには学ぶべきものがたくさんありますけれども、しかし自らの過去の遺産をも学び返す必要がもっとあると思います。
そしてもう一つ大事なことは、ヨーロッパの発展というのは経済発展のことですけれども、実はそれは同時に近代ヨーロッパ型の生活様式というものをつくりかえたという意味で文化の話でもあるということです。そのヨーロッパの文化に最も憧れて、それを取り入れようとした国は世界中でどこかというとほかならぬこの日本であります。押しつけられたのではなくて自らそれを取り入れようとしました。取り入れてなお我々は畳の上に寝る、あるいは布団の上に寝る、あるいはお箸を使う、お茶碗でご飯を食べる。すなわちある国の文化、ある地域の文化を徹底的に取り入れようとしてもやはり相手地域の文化にはなり切れない。つまリーつの文化は他の文化を完全に包摂し切ることはできない。そのことは、日本の近代150年が示しているのであります。
そうした観点から今度は文化というものが現在問題になってきているということを冒頭で申しましたけれども、では文化の数は幾つあるかと。これが一番大事だというふうに言われたのは国立民族学博物館をおつくりになられた梅棹忠夫氏であります。社会主義や資本主義や自由主義みたいなものは近々100年やそこらの産物であると、人類史において最も古い単位というのは民族であると、民族というのは文化共同体である、これは必ず問題になって出てくるということを言われた。文化の数、民族の数は数え方にもよるでしょうけれども大体3,000ある。現在の政治的統一体は何によって成り立っているかというと民族国家、つまり文化を共有する者によって成り立っている国家ということになっております。民族自決で自ら政治的な独立をしたいというふうに言えば、それを論破する論拠は現在のところはありません。したがいまして可能性としては現在190ほどしか国はありませんが、もっとも戦